2024-04-23

犬が亡くなった時のこと

偶にではあるが、5年程前に亡くなった実家の犬が亡くなった時のことを考える。

その時の自分感覚が今でもとても不思議だったからだ。

大型犬の14才という大往生で、繊細で優しい紳士ぼくちゃんだった。

オヤツをもらう時や夜のお散歩帰宅中の私と鉢合わせとき等の、優しいビビちゃんならではの、線の細い穏やかなニコニコ顔に今でも救われている。

ぼくちゃんは、私が横にマットを敷いて様子を見つつうたた寝をしている間に静かに亡くなっており、なんなら硬直も少し始まっていた。

今思うと静かに逝きたかったのか、寝ている隙を狙われた気がする。。

そうだったのたら、申し訳ないことをしてしまった。

何にせよその瞬間、大きな何かが底なしの先へ落ち続けていく感覚になり、自分が空洞になったようだった。

今はその時の事を筒か空の容れ物で例えている。

その時の感覚を反芻するうち、何かがなくなったということは、そこにあの子がいたという何よりの証拠じゃないかと思い至った。

悲しい寂しいという気持ちも、それだけあの子自分にとってかけがえの無い存在証明で、それがどれだけ尊いことなのかと。

もにょもにょ考えるうち、この感情もあの子がこの世にいた確かな証だと思うと愛おしく感じ、悲しい気持ちも大切にしようと思った。

飛躍した所もあるが、自分としては綺麗に気持ちの整理ができたというか纏まってくれて、そこに思い至った時に自分でも驚いた。

これも優しいぼくちゃんのお陰でしかない。

今までもこれからも、この感覚大事にして、わたしは大切なもの出会いたいし、それらの容れ物でありたい。

その為に健康に気をつけて長生きをしたい所存です。

ちゃんと寝よ。

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