例えばゴミ処理場で勤務してくれている人とか、保育士さんとか、いわゆるエッセンシャルワーカーというのは、いなくなると困る仕事だ。
しかし、野球の得意な人がいなくなっても、別に市民が生活に困ることはない。
まあ「野球の得意な人」はその人でなければならない、替えがきかない存在だが「ゴミ処理をする人」はゴミ処理さえしてくれれば誰でもいいという点では、野球の得意な人のほうが個体としての価値が高いというのはわかる。野球が得意なことも、得意になるために並外れた努力をしていることも自分にはできない立派なことだと思う。
でも正直、所詮見てくれる人がいないと何の価値もない、ただの玉遊びのレベルが高いだけでなんであんな偉そうにできるんだろうなと思ってしまう。今まで別に野球のこと嫌いでも好きでもない、むしろなんとなくサッカーよりいい人が多そう(学生時代サッカー部より野球部の方がいい人が多かったから)くらいのイメージだったけど、最近野球へのイメージがすごく悪い。
「人を喜ばせる」能力があるから役に立ってるのでは? 大谷翔平とかプロ野球選手は人を喜ばせてるし、必要とされてる 人はパンだけでは生きられないんだよ
じゃあ打てなくなった大谷に価値はない?
過去の栄光があるから価値があるだろうね