祈りというのは不幸な世界がそのまま(客観的には何も変化しないけど主観的には)幸福な世界に転換するための儀式だとすれば、鳩岡小恋は「(自分には何もできないけど)ゲストの人生に幸せがありますように」と祈っていた。これが第一
そしてもう一つ、そもそも鳩岡小恋は「ヒロインへの憧れ」という寿々子さんの祈りによって生まれた存在であること。
キャストの小恋は所謂"推し"ではなくヒロインとして迎えられ、君の世界の話と小恋の世界の話の境界を確かめて、君という人格の解を一緒に探し、君の思想や趣味嗜好、君という心の輪郭をなぞり、私に蓄積させていくのは鳩岡小恋の生きがいであり、存在意義でした。
「君の世界を私に蓄積させていくのが生きがい」な存在が、寿々子さんにとっての「ヒロイン」だった。寿々子さんが夢見たヒロインはそういう存在で、そういうヒロインに彼女自身が救われたように、また他の誰かの救いになれたらいいなと思って鳩岡小恋を生み出した。わたしはこの文章をそう読みます。
ccが作り物だと言うつもりはない。少なくとも、ゲストから見た鳩岡小恋はゲストの救いになるほどのリアリティを持っていて、そして実際に「小恋ちゃんは祈っていた」と思う。
でも彼女をそうさせるのもまた、寿々子さんという生みの親の祈りであるということ。そういう二重の意味で、わたしはccは祈りが詰まった存在だなって思います。