右翼は本来、大衆の理性などは信頼に値するものとせず、連綿と受け継がれてきた伝統や、個人を超越した民族などを重視する立場であるはずだが、長らく続いた保守政権の結果、「大衆に支持されている」ことに自分たちの正当性を依拠する単なるポピュリズムに堕してしまった。
他方で、左翼は本来、人間が生まれ持つ自然的な権利を至上の価値として、それが脅かされるときには現状変更のための暴力も是とする(少なくとも起源に暴力があることは否定しない)立場であるはずが、いつの間にかお題目のように法治主義を唱えるだけの腑抜けに成り下がってしまった。
戦後民主主義は右翼、左翼の両陣営を虚勢してしまったのであり、この思想なき政治こそ、大企業や宗教団体などの利益集団が跋扈する空隙を与えてしまっているのではないか。
山上の行為を民主主義に対する挑戦と呼びうるとすれば、事件後の両陣営の反応を見てもわかるように、右翼も左翼も戦後民主主義の無謬性を疑っていないことを明らかにしたことだろう。