すげーわかるわ。日本はハイコンテクスト社会だから普通に生活してると読み取る側に重きを置くようになってる。「察しの悪いやつ」は印象が悪くなりがち。
で、ハイコンテクストは議論に向いてない。問題提起でも反論でも、何かを議論する時ってまず各々の主張を正しく認識しないといけないわけだけど、察して文化はそこで躓くことが多い。結局は言葉にしないと認識の正しさを相互確認できないのに〝察しろ〟になるから。そして主張の正しい認識にまで至らず、ただの殴り合い水掛け論、又は話が逸れて別の議題になる。
ある言葉に「主語デカやめれ」と言い、相手の曖昧さを相手側の責任にすると、問題がすり替わる。話が逸れる。ハイコンテクストとローコンテクストを混ぜると事故る。
なので真摯に議論したいなら、「主語デカやめれ」なんて相手の曖昧さを殴るんじゃなくて、「そんくらいわかるやろJK」と突き放すんじゃなくて、「私はあなたの主張をこう受け取りました。そして私の意見としてこう反論します」と、最もローコンテクストに返すことから始まると思う。発信者側に重きを置く話し方で問題を語る。
「私は○○の言う「〝おっさん〟は××」と言う言葉が、世に数多いる全てのおっさんに対しての言葉だと認識した。つまりこの発言は全てのおっさんを貶め、全てのおっさんに対する差別になる。〜以降、議論〜」
日本語でこれをやるのはめんどくさい。けどこれが嫌なら、誰も彼も少なからず察してを要求している。なので主語デケェんだよ!で殴るのはホンット微妙だし、問題の本質を見え辛くする。
少なくとも相手方が議論にそぐわない作法をしており 議論以前のレベルであると指摘する効果はある
みんな英語で増田したらいいんだよ
ハイコンテクストな英語ミームを連発して「海外はハイコンテクスト社会じゃない」と思ってるやつを混乱させたい
いつエアギターじゃなくて本物のギターでステージに上がるんだ?
結局どっちのコンテキストを受け入れるか、どっちが忖度すべきかのパワーゲームをやっているに過ぎないんだよな