2020-07-12

武士道批判序説(4)

朱子学批判しつつ、徳川武士朱子学を学んだことは無視する。キリスト教精神の混じった新渡戸稲造武士道を『取り戻せ』と言う。藤原正彦先生が、そうまでして武士道言いたい理由と言えば……」

鎌倉江戸……関東を『国家の品格』に一口乗せたいからやろなあ」

先生のおっしゃる品格』の柱は『情緒』と『形』。情緒は『もののあわれ』やから畿内のもの。ここで『形』に儒教を割り当ててしまうと、関東に出る幕がなくなる。儒教仏教で十分説明できる慈愛その他の倫理に、わざわざ武士道の看板を掛けようとするんは、そのせい」

「大体、騎士道現代に当てはめること自体喜劇的な扱い受けてるのに、何で武士道だけ免れられると思えるんやろ……?」

「『国家の品格』に必要なんは『情緒』だけで十分。真っ当な情緒があるなら、そこに慈愛も育たんとおかしい」

文藝春秋に載った論説やと、先生は『武士精神』と『ユーモア』を柱にしてはるけど?」

そこで今改めて見直したいのが「武士精神」です。〔……〕もう一つ、大切なのはユーモア」です。(日本韓国国家の品格」・文藝春秋2019年10月号)

ユーモアも大切やわ! 品格必要なんは『情緒』と『ユーモア』。武士道は必要ない」

先生が『情緒』外したんは、たぶん韓国対応やんな」

朝鮮民謡には哀しい歌が多いのです。

理由はともかく、ユーモアに注目してくれはったんは喜ばしい。ほんでも、藤原先生の実演するユーモアは失礼ながら……」

例えば清の時代の記録によると、李氏朝鮮は毎年、金を百両、銀を千両それから美女・馬・豚・牛などをそれぞれ三千ずつ貢がなければなりませんでした。美女差し出せなどと言う中国は本当にひどい国です。羨まし過ぎて絶対に許せません。

「これが何であかんか、ほんまにわからんのやろか……?」

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