マスクなんてなんの効果もねーよ本当に日本人はバカだな、と、長年考えてきたが、この度のコロナ騒動を見てるうちに考えを変えました。案外意味あるんじゃなかろうか。
NATROMのブログ20200327:布マスクはないよりマシなのか?
http://natrom.hatenablog.com/entry/2020/03/27/111040
「症状のない人がマスクをしてもよいと個人的には考える」何故なら「たとえば満員電車内において、マスクも何もしていない目の前の人が咳をするかもしれないのだ」とある。
自分から人に移すことを「加感染」、人からもらうことを「被感染」と呼ぶとしよう。NATROM氏は「マスクには(場合によっては)被感染抑止効果がある」と考えていることになる。同時に「マスクも何もしていない目の前の人が咳をする」のはヤバイ、との記述から、「マスクには加感染抑止効果がある」と考えていることも明白だ。つまりNATROM氏的に、マスクには相互感染抑止効果があるのだ。
にも関わらず、何故かNATROM氏は、マスクに否定的なスタンスを崩さない。効果も考えられるがデメリットもあるでしょ、と記事は続き、「マスクの外側は汚染されていると考えるべき」なので、「無意識にそこを触ると手も汚染される。その手で物体表面を触れば汚染させるし、鼻や口をマスクでガードしていても目をこすれば感染する」という。この「と考えるべき」と、「かもしれないのだ」の使い分けがよくわからない。
A:満員電車で目の前の人が咳をするかもしれない。
マスクの外側は汚染されていると考えるべき。
B:満員電車で目の前の人が咳をするかもしれない。
マスクの外側は汚染されているかもしれない。
C:満員電車では目の前の人が咳をすると考えるべき。
マスクの外側は汚染されていると考えるべき。
D:満員電車では目の前の人が咳をすると考えるべき。
マスクの外側は汚染されているかもしれない
という4通りの順列組み合わせがあり得る中で、どうしてBCDは却下され、Aを採用するのか。「マスクなんて大した効果あるわけねーじゃん」という思い込みを守りたい、という以外の理由を、思いつけない。
ついでに言うと、「マスクの外側は汚染されていると考えるべき」だとすれば、マスクしてなかった場合には「口や鼻の周りの皮膚も、唇も汚染されていると考えるべき」なわけで、比較的にどっちがヤバイかと言ったら後者じゃないだろうか。