よぼよぼの老人に安楽死が認められるとしてだ
じゃあ今俺に認められるかって話だよ
違いがあるとすれば、俺は病気や怪我をしなければあと数十年生きるかもしれないって点だが
放っておいても十年以内に寿命が来る老人よりも、むしろ積極的な死が必要なのは俺なのではないか?
と言っても、これが認められないであろうことは分かっている
他人が同じことを言ったら、俺だって同情はするがそれで即「じゃあ誰でも安楽死OKな!」とは考えない
もし仮に認められたとしても、いざ死ぬ瞬間になったら俺も「やっぱり嫌だ、死にたくない!」と騒ぎ出すかもしれない
でもじゃあもし俺が同じ年齢で体は健康だが脳の障害か何か持っていたら?
それならOKが出るのか? もし今の俺には出なくて障害持ちの俺にはOKが出るとしたら、それは何故だ?
障害持ちなら死んでも仕方ないからなのか? そいつが直前でやっぱり死にたくないと叫んだら安楽死は中止になるのか?
そう考えていくと、老人だけが本人の希望通り死んでもいいというのも、おかしな話に思えてくる
「自分が認知症になったら殺してくれ」と書き残した老人が、実は直前で死を恐れる人でなかったという保証は何もない
寝たきりになったら、その直前での悪あがきさえできないのだ
「苦しかろうが楽しかろうが全ての人は生きねばならない」という前提は、問題も多く残酷な考え方ではあるが、線引きとしてはわかり易い
あっそう死ぬねが成り立ってる結果が今の日本 どうせ死ぬならコスト安く死んでくれた方がいい