12月が迫ってきた。クリスマスは話題になるのだが、それ以前に違和感を感じるイベントがある。
12月14日が迫ってくると、テレビ東京で毎年毎年12時間もドラマ忠臣蔵を放送する。毎年新作だ。なんか違うのか、と疑問だ。それよりなにより、この赤穂浪士の心理であったり、かたき討ちであったり、メンツだったりする前提条件がもう圧倒的大多数の視聴者に共有やら同意されてないんじゃないだろうか。言ってしまえばいじめの仕返しなのではあるが、自刃した君主の霊を慰めるため、汚名を雪ぐために一年半も準備して敵を殺す。
このメンタリティに同意できるか? さっぱり理解できないし、同意もできない。ましてや毎年見たいものでは決してない。しかし毎年毎年新作が作られるのだから、これまた理解できない。新資料が発見されたために新解釈が入ったわけでもなく、47士の誰かをフィーチャーしてあたらしい物語を提案するわけでもない。おなじみの物語をなぞっているだけにしか見えないのだが。しかも特に話題になってるわけでもない。
つまりは、惰性なんだろう。誰も見なくなっても、惰性で新作が作られていく。