http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2014/0320/649233.htm?
よくある、就職氷河期で就職できなかった人達は努力不足という指摘だ
俺は明らかにそれはおかしいと思うのだが、なぜかネットでもこういう事いう人を見かけるし、
正社員イス取りゲームでイスの数が減ったら正社員のイスに座れる人が減るのは当たり前の話で、
それは本人の努力とは関係ないだろう。と思うのだが、なぜかこういう見方も根強い。
ひょっとして就職を相対的な実力ではなく、絶対的な実力だと思ってるんじゃないか?ってことだ。
企業に三人の希望者がいて、今年は企業は業績が悪いから相対的に一番できる人を取るとする。
Aさん100点、Bさん90点、Cさん70点、と評価が出たとして、企業はAさんだけを採用する。
二人ならBさんもとってもらえたのに、かわいそうだねぇ。と俺のなかのモデルはこんな感じなんだが、
努力不足論の人達って、全員100点取ってれば、全員採用だった。他の二人は努力不足!とこういうモデルで考えてるんじゃないのか?
だから、こっちがいくら、他の二人が努力しても相対的な評価だから、三人の中で一番のやつだけが採用されて二人落ちる。と説明しても納得できないんじゃないだろうか。
椅子の数が変わろうと、正社員になれなかったなら本人の努力不足でしかない。 例えばこれから解雇規制が緩和されて非正規が9割になったとしても、 正社員になれなかったなら本人...
そも、1番になれないんだから努力不足と言われてもしかたないでしょ。
その1番も採用0には勝てなかったんだよ
採用0ってのは、 「金を払える要求水準に達した人間がいなかったので」採用0なんだよね。 コンテストでいう1位なしと同じ。 参加者の実力自体が例年に比べて低質だったんだか...
元増田じゃないけど、企業は毎年同じ人数を採用するわけじゃないよ 成長業界の企業は毎年採用人数を増やしていくし 衰退期に入った企業は採用人数を減らしたり、採用活動を行わない...
そういう環境において正社員になれなかったなら努力不足でしかないという話なんだが。 ほんと会話が成立しないな。 お前それでも何億という精子競争を勝ち抜いてきたんだろ?
採用ゼロはそのコンテスト自体が開催されなかった、と解釈するのが正しいんじゃないかな
小町には働いたこともなく社会の仕組みも理解してないユーザーが多いのでは?という記事だよねこれ
時代によって条件は違うし、与えられた状況・条件で戦わなければいけない、それはそうだ けど時代によって偏差値の違う肩書を同じように当てはめて努力不足というのは違うだろ、っ...