古代の学習環境が全く整ってなかった頃と今とでは全く意味が違うと思う。
もともと全ては「コレはなにか」的な事を考える事が原理で
全ては哲学だった。
古代ギリシャの哲学は、三通りの学に分かれていた。すなわち――物理学、倫理学および論理学である。この区分は、哲学というものの本性にかんがみてしごく適切であり、これに区分の原理を付け加えさえすれば、かくべつ訂正すべき点はないと言ってよい。
増田の言う「数学」はこの中では物理学及び論理学の一部となろう。
つまりはそれらは「哲学」と言ってしまっても決して過言ではない。
現在における「哲学」というのは上とは少し離れて、まず、物理(科学)など検証されるような事柄は省いている。
論理学と言っても記号論理学の様な体系付けられた様な物も省かれている。
倫理、についても法律など、人間が直接決めてきた倫理については直接はあまり対象にしない(一部ではなるが)
そして、残った「曖昧な物」を考えるのが現在の哲学、と言った感じになっている。
学問の典型って、数学説と哲学説を見るけど、どうなんだろう。 一つに決めるのは難しいが、哲学で学問の面白さを知って数学も学ぶ人が居るように、数学から哲学に興味を持つことも...
古代の学習環境が全く整ってなかった頃と今とでは全く意味が違うと思う。 もともと全ては「コレはなにか」的な事を考える事が原理で 全ては哲学だった。 wikipediaから持ってくると ...
あらゆる学問の根源が人の意思の及ぶ行為であることは少し面白い。
自分は数学やって、それと別に宗教に興味もって最後に哲学に興味持った
数学やってるってのは数学の研究者?