2014-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20140823203717

古代学習環境が全く整ってなかった頃と今とでは全く意味が違うと思う。

もともと全ては「コレはなにか」的な事を考える事が原理

全ては哲学だった。

wikipediaから持ってくると

古代ギリシャ哲学は、三通りの学に分かれていた。すなわち――物理学倫理学および論理学である。この区分は、哲学というものの本性にかんがみてしごく適切であり、これに区分原理を付け加えさえすれば、かくべつ訂正すべき点はないと言ってよい。

イマヌエル・カント、『道徳形而上学原論』、篠田英雄訳、岩波文庫1976年、5頁、「序言」より

増田の言う「数学」はこの中では物理学及び論理学の一部となろう。

まりはそれらは「哲学」と言ってしまっても決して過言ではない。


現在における「哲学」というのは上とは少し離れて、まず、物理(科学)など検証されるような事柄は省いている。

論理学と言っても記号論理学の様な体系付けられた様な物も省かれている。

倫理、についても法律など、人間が直接決めてきた倫理については直接はあまり対象にしない(一部ではなるが)

そして、残った「曖昧な物」を考えるのが現在哲学、と言った感じになっている。

勿論、現在でも上に書いたようなすべての事柄を含めた学問として考えている様な場合もある。




なので、「哲学」か「数学」か、と言う問はあまり意味が無い。

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