2013-02-22

撮り鉄の悪行が理解できてしま

撮り鉄桜の木を切ったらしい、と話題になっていた。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1751728.html

もちろん本当に撮り鉄が切ったのかどうかはわからないし、切ったヤツが外道だとしても撮り鉄すべてがそんなキチガイなわけじゃないだろう。まぁ、柄の悪い撮り鉄がそれなりな数いるのは確かだと思うし、わたし自身も目にしてイヤな気持ちになったことはあるけれど。

で、これに対して「理解できん!」というコメントとかを見かけたのだけれど(それが真っ当)、自分は個人的にちょっと理解できてしまう。それが恐ろしい。

わたしはかつて、若気の至りで訳の分からない映像を作っていた時があった。実験映像系のコンペでそれなりに評価され、海外でも上映されたことがある。その後商売にならず(当たり前)、今はカタギになっている。

自分カメラを扱っていた時のことを思うと、ここまでしてしま撮り鉄狂気というのも、ちょっと分かってしまう。あの吸い込まれるような高揚感というのは、他に代えがたいものだ。

からこそ言うけれど、その快楽狂気から身を引き離さないといけない。あれは本当に恐ろしいものだ。

別に写真を撮るなというんじゃない。わたし自身も、現在でもスチール(普通写真)は撮る。ただ、思うように撮れようが撮れまいが、全部神様の思し召し、運次第だと思うことにしている。だからダメでも速攻諦める。

写真なんてその程度なんだよ。それくらいで気持ちを切り替えられないと、自分も周りも不幸にするんよ。

切り替えられない心理、その高揚感というのがよく分かるだけに、本当に「目を覚ませ!」と言いたくなる。

麻薬中毒患者が現患者に語りかけたい気持ちだ。まぁ大きなお世話だろうけれど。

その執念の果てにすごい作品が撮れたりすることは否定しないけれど、そんなもん、一歩離れて眺めればただの写真で、その一葉があろうがなかろうが世の中には何の影響もないし、自分以外誰も興味なんかない。

なんでもオタク的というか、極限に集中することで得られるものというのは確かにあるけれど、肩の力を抜いて楽しむやり方だってあるし、別にそれが劣っている訳でもない。むしろそういうやり方のほうが、世の中と調和して、自分も周りも幸せになれる。

執念なんて、所詮自己愛なんだよ。別にそんなもんあろうがなかろうが、誰も困らないんよ。そんでもって、その執念がなかったところで、その人に対する評価が上がりも下がりもしないんよ。所詮、ちっぽけな人間なんやから

ほそぼそ生きるのって良いもんだよ。

  • 狂気とかいってるけどそんなことない。 普通の人でも十分理解できると思うけど。 美しい山を背景に自分の好きな電車が走ってる。四季折々、毎年通っては撮っているうちに次第に気...

    • えっ……いや……ちょっとわかんねえよ(困惑) そのアングルで写真を撮ってる自分以外の人間にとっては「うわー車窓から桜が見えるキレイだなー」って思うだろう場所だから植えら...

      • 横だけど、我慢している時点で、その行動を起こすのは狂気ではないだろうと思う。動機が理解できる行動なわけだし。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん