25 歳、未婚。昨年の春、社会人になって、今年頭に転職した。
---------
ということに初めて気づいたのは、大学に入って二年ほど経ったときのように記憶がある。
甘さというのは、例えばお金(管理、人から出してもらうこと、など)や、
今の自分の立ち位置(学生時代なら「学生としての」、今なら「社会人としての」)に加え、
様々なことにおいて「自分は(君は)甘い」という自認や指摘が多い。
そして厄介なのは、それがまったく解消されていないということ。
おそらく必要最低限の「少し下」くらいまでは来ているのだろうけれど、
そもそも「甘い」のは「求められている必要最低限を満たせていない」からであって、
最低限に至れていないという事実からくる「甘い」という評価は、
もはや能力以前の欠陥として、私には捉えられる。
「甘い」と言われてしまえば、もちろん「なんとかしなきゃ!」がまず最初に来て、
意識的にそのような「甘さ」が出ないようにしようと思う訳だが、
これも「甘さ」の奥深いところで、そもそも意識できていたら「甘い」行動を取ることはない。
つまり、私の矮小な意識では及ばないところで「君は甘い」となっている訳で、
「甘い」の一つ前に「そんなことにも気づいていないのか」があるこの二重構造が、
「甘さがなくなるようにがんばって成長します」という宣誓を、
「気付き」を持てていないから「甘さ」という欠陥が生まれることに、
どのように立ち向かえば良いのか。
もっと言えば、欠陥がある自分を克服し、大人になるにはどうすれば良いのか。
そしてこのような文章を安易に書いてしまう「甘さ」をどうすれば良いのか。
もう発言できる場所なんて、自分の意思を表明できる機会なんて、
やってこないような気もしてくる。
「甘え」に過剰に反応する人って、逆に自分に厳しいからそう思ってしまうだけだったりするよ。周囲からみたら別に甘えてるようには見えないのかもよ?