相変わらず、進展のないやり合いが続いてるな と思ってたんですが
そのなかで、どこが進展のつっかかりになっているのか考えてみました
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おさらいとして毎回の流れですが、
誰かが「南京大虐殺などなかった」と発言し、それが「虐殺0説」として報道される
日中から袋たたき
「30万を否定しただけ」そしてうやむやに
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いつものことだなーとスルーしてたんですけどこの記事を見てひとつ思いました
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20120308/p1
南京事件否認論の恐怖。
中国の「犠牲者30万人説」に問題があることはたしかだけれど、しかしだからといって「ほんの4、5万人しか殺されていないのに30万人殺されたというなんてウソつき!」などと叫ぶことは理性のある人なら普通しないでしょう。数万人でも十分大虐殺と呼ぶべきなのだから。
これこそがこの議論を止めている原因じゃないでしょうか
否認派が一定の発言力を持ち続けてるのは、否認派の国民よりも、30万人を吹聴し続ける中国に苦い思いをし続けている大多数の人の
支持ではないでしょうか?
かれらは、けして声に出すわけでもなく30万に受け入れられるわけでもない
そして、否認派を批判する人たちはじつはそうと知らず、「中国の主張は過大だと思っている」大多数の人間の発言すら封じてしまっているのです。
それは否認派を批判する人と同じものを信じているにもかかわらず。
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都知事のような人間が一定の支持を得続けているのは、発言を封じられてしまった中間層が極端でも「発言できる」人間を支持した結果ではないでしょうか?
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上の記事では理性のある人は、中国の主張を否定すべきではないとしています。
どこかの新聞もそうでした、「30万人の大虐殺」コールを苦々しく思った人間はいつのまにか1か0の虐殺有無問題にすり替わり
沈黙を強いるのです。
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日本政府もマスメディアもナショナリズムを刺激しないための賢い沈黙だと言います。
ですが本当に沈黙が正解なのでしょうか?
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出た釘のような否定派を袋叩きにして、その下にいる”否定派ではない人”に沈黙を強い続けますか?
僕にがそれが問題を解決に導くものではなく「自身の正義の確認」でしかないように思えるのです。
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541 : 名無しさん : sage : 2012/03/07(水) 20:02:43 ID:v2uVpRGU0 ※皮肉です。 ※個人の感想です。 http://b.hatena.ne.jp/entry/alfalfalfa.com/archives/5275485.html 147 : ヲチ名無しさん : sage : 2012/03/07(水) 11:...