2009-12-02

出さない手紙

最後に君に手紙を書いてから、もう四度目の春になります。そのあいだに僕は高校を卒業し、一年浪人したあと、無事に東京大学合格しました。今は二年生として、つまらない授業もそうでない授業も、まあそれなりに良い出席率で講義を聴いています。(中学校のころからまじめだけが僕のとりえでしたからね。)

中学校時代から成績のよかった君は、きっとストレート国立大学にでも入って、今ごろは就職活動にでも励んでいるのでしょうか。しかし、君の中学校時代しか知らない僕には、君が就職活動をする姿がどうしても滑稽に思えてしまいます。(なんて、失礼かもしれないですね、ごめんなさい。でもきっと君だって、僕が大学生であるということになんていうか、滑稽さを覚えるのじゃないかと思うのだけど。)

君の中学校時代しか知らない僕には、と先ほど言ったけれど、正確に言えば、それは間違いです。だって、僕たちはお互い高校二年の終わりまで手紙のやり取りをしていのだから。だから、君の中学校時代の姿しか「実感を伴って」思い浮かべることができない、というのが正確な言い方なのでしょう。

今はじめて気がついたのですが、僕たちは空間を共有していた時間と、文字を共有していた時間が、ほぼ同じだけの長さなのですね。僕と君が出会った(というほど大げさなものではないけれど)のが、中学二年の時。そして、僕が東京引っ越してしまったのが、僕たちが高校へ入学する年。つまり、僕たちは約二年の間同じ学校で時を過ごしたことになります。そして東京に来た僕に君は二年間、手紙を書き続けてくれました。

そして空白の時間が四年。これは僕たちがなんらかの形でコミュニケーションをとっていた期間と同じだけの長さです。

うん、君が手紙を何度もくれたあの頃は、君の決して上手とは言えない(失礼)字で書かれた手紙学校に持っていって、授業中にそれを読んでは君のことを思い出していたものです。

けれど、どちらからともなく疎遠になっていき、ついに君から手紙が来なくなってから、僕は新しい友達に囲まれて、季節がうつろうたびに君を思い出す時間は減っていきました。でも不思議ですね、記憶というのは。君を思い出す時間の長さが短くなるのに反比例して、君のイメージは鮮明に、濃く、僕に焼きついていきました。

なんていうかそれは、記憶の水溶液とでも言うべき感じだったな。なんていうと、君はまた「あなたの喩えはいつもわかりにくい」なんてことを言うだろうから、少し説明を加えておこうと思います。

つまり、こういうことです。

水溶液を蒸発させていくと、「かさ」はどんどんと減っていくけれど、水溶液の濃さはどんどん濃くなっていくでしょう?かさというのが、君を思い出す時間の長さ。水溶液の濃さが、記憶の濃さ。

わかってもらえたかな?

うん、それで、いくら蒸発しても水溶液の中の溶質(っていうんでしたっけ?溶けている物質)の質量が変わらないように、いくら君のことを思い出す時間が短くなっても、君に関する記憶質量は変わらなかったように僕は思います。だから時間の「かさ」が減っている分、君に関する記憶はひどく濃くなっていったんだと思う。

こういうふうに考えると、何かを(あるいは誰かを)完全に忘れてしまうということは、ありえないことなのかもしれませんね。きっと「忘れてしまった」と人が言う記憶というのは、水が完全に蒸発して、溶質が粉みたいになっちゃって、もう他の粉と区別がつかなくなっちゃったような記憶のことを言っているのでしょう。少なくとも、僕はそう思います。

話がすごく脱線しています。(でもすぐに話が脱線するのも、僕の中学校の頃からのクセです。)

そう、君に関する記憶の話でしたね。君に関する記憶がそんなふうに少なく、濃くなっていくうちに、僕は「このままではこの記憶は粉になって、他の粉と区別がつかなくなってしまうのではないだろうか」と感じて、この手紙を書いています。

なんていうのかな、だからこれは君に対しての手紙であると同時に、中学校の頃の僕に対するささやかプレゼントでもあるわけです。「ねえ、中学生の僕、君がとても大切に想っていたあの人の記憶は、たとえ粉になってしまっても他の粉とは違うビーカーに入れておくからね」っていう風にね。

四年の空白を経た今、君は多分僕の想像力の幅を優に超えて変わっていることでしょう。少しは素直になっていますか?友達にやさしくできていますか?すぐに顔をしかめるクセは直りましたか?寝癖をつけたまま外を歩いてはいませんか?(女の子なんだから、寝癖くらいは直してから学校に来たらどうかといつも思っていました。)

なんていろいろ書いたけれど、君の今を知りたいと強く思うことはありません。たぶん、ぼくたちにとってお互いはすでに「過去」の領域にあり、二度と「現在」の領域に戻ってくることはないのです。僕がいくら努力しようと、君がいくら努力しようと、二度と。

長々と書いてしまいました。今まで書いた文章を読み返してみて、君と僕に関する具体的な思い出がひとつも出てきていないことに気づきました。でも、なんだかそれも、僕らしいような気がしています。

でも、だからといって僕が君に関する具体的な記憶をなくしてしまっているとは考えないでください。それらは今でも僕をあのときに一瞬にして連れ戻してしまいます。君は笑うでしょうか。今でも唇を片方だけ上げて皮肉っぽく笑うのだろうと思います。でも、それはただの「記憶」なのです。

それでは、このあたりで。いつも風邪をひいては不機嫌になっていた君が、この気温の変化に富んだ季節を上機嫌で幸せに過ごしていることを祈ります。

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