いや、結婚してない人は、「する」という手段もあるのだから、同じではない気がする。
根底には「できない」という気持ちがあるような気がするよ。
だって、積極的に「しない」を選んでいるのなら、結婚している人がなに言おうとどうでもいいこと。結婚自体どうでもいいこと。
けど、結婚している人とバトルになるということは、少なからず「できない」部分があるからじゃないかなあ。
いや、結婚してない人は、「する」という手段もあるのだから、同じではない気がする。
既婚者が結婚したくない人の価値観を否定するのは、「既に結婚してしまっている」事が容易に変えられないからこそ、自分を変えるのではなく相手を否定するという方向に向かうのは納得できるが、まだ結婚していない人は、したいと思うようになったならすればいいのだから。わざわざ、結婚した人の価値観を否定しなくてもいいわけだ。勿論、0か100かじゃないから、それよりも相手の価値観の否定に向かう奴も未婚者にもいるだろうけど、でも既婚者のそれと全く同じではないと思う。単純に、「そう言うなら、全く同じに、逆だっていえるよ」と同等には扱えないように思うのだが。
まあ後で消すからいいだろうと思って投げやりな考え無しのコメントをつけたりするときがあるんだけど、
そういうときに限って言及されたり引用されたりするんだよね。
そもそも何で後で消すかって言うと、その記事まわりの流れを一時的に見ていたいから。つまりヲチが動機だから、
コメントもまああまりプラスの意味で書かれたものじゃない。言うほどマイナスでもないけど。
そんなコメントを書いて消すこと自体どうなのよって意見もあるだろうけど、まあ自分でチキン宣言してるようなもんだし、
一日二日経過を見守ったら消す、みたいなことをよくするんだわ。
でもさ、そのコメントをピックアップされると、途端に消しづらくなる。罵倒とか批判とかだったらまだいいよ。
その場合俺がさっきのチキンにあたるだけだから。でもさ、それ以外の目的で、ただ単にコメントを拾われるととてもやりづらい。
ここで俺が消すとさ、お互い何の気もないのに「お前に言及されたから消しちまうよ!ぎゃひー!」みたいなことにならないか?
気にしすぎ?でも俺はなる。誰かのコメント拾って、後で見たときそのコメントが消えてたりすると、
俺に関係あろうがなかろうがわかりもしないのに地味にへこむ。2秒で立ち直るけど。
あの子と会うことはやめた。
でも今はメールでやり取りを続けている。
増田の誰かが言ってたように会わなくて良かった。まじで。
確かに会ってたらやばかったかも。止まれなくなってたかも。
もう十分です。
これ以上俺を苦しめないでください・・・。
本当にあなたが思っているようなことが理由なのかな?
どうしてこういう疑問を持ったかっていうと、
少なくともたったこれだけの理由で自尊心が損なわれて彼女と別れるなんて、ちょっと自分には想像できなかったから。
彼の方が司法試験に落ち続けているとか、結局断念した、とかならまだしも、単に合格時期が違うというだけだからね。
それから学歴といっても、社会に出てしまえば(そういうものが出世にあからさまに影響する会社とかではない限り)本当にどうでもいいことだし。
もっとも、あくまで元の文章に書かれている範囲から読み取ったことだから、実際にはもっと「手がかり」があったのかもしれないけどね。
この例から離れて自分の場合で考えてみると、「相手が自己実現できている」ように思えて、なおかつ自分が「自己実現ができてないない」時はきっと辛いだろうな。
http://anond.hatelabo.jp/20070518222129
なくなられた一歩くん超が付くほど優秀だったみたいね。
http://www.ryutai.com/journal/kimuzuka/200704.html#26
この防弾チョッキの話しが本当だとすると悔やむに悔やみきれない。
談合うにうにのキャリア官僚にそのお豆腐チョッキを着せて、被弾テストさせたいよ。
犯人もまさか流れ弾で死んだとは思ってなかったみたいね。
冥福おいのりもうしあげます。
なんか急にカミナリ→豪雨だ。
一人死にかけた時点、ないしは一人死んだ時点でスナイパーに射殺許可を出してよかったと思うんだが。
懲罰的な意味ではなく、市民(人質)の危険を最小限に抑えるという観点から考えて。
ぶっちゃけ、適法性がどうこうじゃなく、県警本部長がヘタレただけなんちゃうんか、今回のケース。ひどく納得が行かない。
http://anond.hatelabo.jp/20070518222129
まったくだ。亡くなった彼には哀悼の意を表明する。しかし、なぜ彼に先に撃たせる判断をしなかったのか。
思い込みも度を過ぎれば大きな力となる。
ちょっと楽しかっただけで、「楽しい」と思い込める奴。こいつは普通の人がつまらない時間でも楽しむことが出来る。これは幸せなことである。
趣味に対して、「これは面白い」と思い込める奴。仕事はともかくとして趣味の時間を幸せに過ごすことが出来る。
仕事に対して、「今は我慢して勉強しながら働ければ、社長になれる」と思い込む奴。このような意識を持たない人間よりも、遥かに出世や独立の可能性は高まるだろう。
ブサイクな彼女を「こいつはなんていい女だ」と思い込める奴。ブサイクな分、他人から取られる心配もなく、本人が望む「良い女」を独り占め出来て幸せである。
ただ一歩間違うと不幸せにもなりかねない。
親に「勉強出来れば幸せな人生後れるのよ」という言葉を信じ込んで勉強ばかりしていた奴。こいつは良い大学に入れる。しかし、その後の人生は保障出来ない。
「歌がうまいね」と褒められて、調子に乗ってミュージシャンを目指した奴。
ホストクラブで褒められて良い気になっている奴。ホストクラブにハマって大量の借金を作ってしまうかもしれない。
”思い込みの選択”を誤れば、このような結果になることもありうるため、充分な注意が必要である。
貴方の”思い込みの選択”は間違っていませんか?
「結婚に拘っている」のは確かだろうね。
私が思うに、多くの人が拘ってるのは「身分」或いは「幻想」。
例えば……事ある毎に親から直接的間接的に責められ、あまりにウザいから口に出して断れば親不孝だの家のことを考えろだの言われる。周囲の会話に溶け込めず孤立する。こういうことがあると、別に相手がいるわけでもないし、やりたいことがあるというわけでもないけれど、とりあえず「結婚してる」って事になってればなあとか思っちゃったり。
相手がいるわけでもないしそんなのいないこと分かり切ってるのに、いざって時に信じてもいない神様に祈るのと同じように「もしも」を無限に考えて理想に囚われてしまったり。
もしこの考えが正しいとすると、「ほれ見ろ実は結婚したいんだろ?」っていうのも的外れになっちゃうし、混乱した議論になるのも仕方無い気がする。
増田依亜里ちゃんとかどっかにいないかなぁ