はてなキーワード: 発展途上国とは
日銀の決死の介入も効果が無かったとは言わんが、もうしばらく円が弄ばれる流れは続きそうだね。
ちょっと前に「マイルドインフレが日本を救う」的な寝言ホザいてた人たちは
「過度な円安は日銀が何とかする」とも言ってたけど、あの人達今の状況をどう見てるんだろうね。
輸入に過度に頼った日本が円安進行したら総合的に見てデメリットの方が上回るのは簡単な算数だろうに。
「国内生産に回帰すれば」とかいう寝言もいまだに聞こえるが、仕事が戻ってきたところで
その仕事誰がやる想定なんだろうね。ただでさえ総人口が減ってて労働力不足が明らかな状況なのに。
えっ!?
ほらこれ見てみろよ
「死と隣り合わせ」の通学 790mの崖をよじ登る中国の子どもたち
https://www.huffingtonpost.jp/amp/entry/china-kids-scale-cliff_n_10188490/
な?
発展途上国だろ?
以下、フィクションです。
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現地の人や周りの客から「おい!お前も来い!」と誘われ、店の近くの宿泊施設に行く。
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宿泊施設の部屋に入ると二人組の女性(欧米からの旅行客)が宿泊施設のオーナーや現地の男性30人以上に拘束され強姦されている。
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周りの男性から「お前も楽しめ!」と言われたAさんは強姦に参加
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数人が女性を解放するために車に乗せて移動し、Aさん含めた残りの男性はその場で解散。名前や出身地を含めAさんのことを知っている人はその場にいない。
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女性はSNSで被害を訴え、地元警察は捜査開始を発表するも数ヶ月経って未だに1人も捕まらず。
このような場合、Aさんが捕まる可能性、捕まった場合の手続き(どこの国の捜査機関に捕まりどこの国で裁かれるか)を教えてください。
最近、日本で難民申請を認めるかどうかで色々揉めているようだ。
人口減少が叫ばれている中で、産業を維持するために移民を入れて人口規模を維持するべきだという人も多い。
しかし、私が思うにこうした人は移民を舐めているのではないだろうか。
おそらく、平均的な日本人と同じような人が移民・難民として簡単に集まり、安価に使い倒せるとでも思っているのだろう。
現実は異なる。移民として期待される海外の中間層の「質」ははっきり言ってかなり低い。
発展途上国では高校生で九九の勉強をしているし、大学生は割り算ができない。(現在移民として期待されている層である)
先進国といわれるアメリカでも、多少発展途上国よりマシなものの、ほぼ同じような状況である。学校では薬物が蔓延しており、銃の持ち込みを防ぐために校門に金属探知機があり、そもそも勉強どころではなく、全くできない人が大部分だ。
母国語も怪しい人に日本語を教え、完璧に話せるようになるまで教育する。日本人が小学校から勉強することを同じように何年もかけて教える。社会に適合できるように一生付きっ切りで面倒を見る。
そもそも仏教は、生きることは、生老病死、即ち苦しみであると説いている。
これね、「生きていると、老いや病や死という苦しみがつきものですよね」ではないんですよ。
生も苦しみなのだ。生きてるだけで当然苦しい。苦しいのがデフォ。
そこは近代以前において説明不要なのよね。貧しいし、人権とか無いしさ。
なので仏教ってのは、苦しみしかない現世をいかに乗り切るか、という話をしている。
これは、いわゆる伝統宗教は、だいたい全部そうなのだ。キリスト教もイスラム教も、いまめちゃくちゃ苦しくても死後は天国に行くって話が基礎だし。
ところだが、俺ら実際、生きていて苦しいか?
ハッキリ言って、そうでもないんだよ。
何か我慢して苦しみをのりきったり、将来の天国に期待をかけたりする必要は、必ずしも無い。
だって今が苦しいとしても、それってのは、例えば金さえ手に入ったら解決してしまったりするんだ。悟りとかいらねぇし、悟りよりも積み立てNISAのほうがはるかに救済に近いのよ。
しかもだ、なんなら老・病・死さえも、適切なタイミングで来るなら、この現代において苦しみではない。解決策ですらある。性欲に悶々とするの面倒くさいからさっさと枯れたい人たちがいる。今の人生が苦しいから、安楽死を望む人たちがいる。なんつーか、生の苦しみの質が変わってるんだよね。人生が50年から100年になって、終わりは突然くるものではなく、いつかくるものになった。90近くなってボケてしまう予定が既に立っているならば、その前に死んだ方が楽という考え方が確かに芽生えている。
現世が苦しいですよね? 悟りを開けば苦しみが取り除かれますよ?
いや、別にそれほど苦しくはないな。っていうか苦しみが無いだけの人生を100歳までやるほうがかえって辛くない?
みたいな。
信者数が減って当然の状況ではあるんだよね。
だからもう従来の意味での宗教を信じる人は、世界からどんどん減っている。イスラムだけ名簿上は増えているが、それは発展途上国の人口増が効いているだけで、欧州に出てきたイスラムの子供とか、産油国の新世代とか、どんどん信仰をおざなりにしていってるから。
今政府は少子化対策に躍起で金をばら撒こうとしているが、少子化の原因は金ではない。社会の文明化である。
もっと言えば、文明化によって「死」がリアリティを持たなくなったからである。
しかし、そのような社会を善かれと思って目指していくこの流れは、われわれから「生きている実感」を失わせ、ひいては「生きている理由」さらに言えば「命をつないでいく目的」さえも見失わせてしまった。
貧しい発展途上国ではなく、先進国で「反出生主義」が萌芽し急拡大していったことも偶然ではない。
そしてそれ故に、少子化問題は解決できない。いくら金を与えようとも、子どもを産み育てる根本的な「理由(≒生きる理由)」を復活させることにはつながらないからだ。
また、「文明化」という視点から観ると、今よりずっと貧しかった時代の方がよほど子どもは生まれていた理由も説明できる。
貧しさや劣悪な教育が多産文化を促進したように見えるが、それは擬似相関だ。貧困や劣悪な教育水準だった時代には、「死」がいまよりずっと身近だったからたくさん生まれたというだけだったのである。
もう正直言って、我々は少子化対策は詰んでいるということをいい加減認めるべきなんじゃないかと思う。
だが、「中世のような世界観に戻れば、また私たちはまた産みたくなる」といわれたところで、私たちはわざわざ「また産みたくなる」ということのために、いまの暮らしや文化水準や社会水準をみすみす手放すことに同意するだろうか? いや、かりに同意したとして、いったいどうやってそれを実践するのだろうか?