はてなキーワード: 職業病とは
「日本は難民条約を批准しており、外国人でも内国民待遇をあたえなければならない」とよく言われる。
その根拠になってる条文は第23条と第24条1項だろう。
第23条【公的扶助】
締約国は、合法的にその領域内に滞在する難民に対し、公的扶助及び公的援助に関し、自国民に与える待遇と同一の待遇を与える。
1 締約国は、合法的にその領域内に滞在する難民に対し、次の事項に関し、自国民に与える待遇と同一の待遇を与える。
(a) 報酬(家族手当がその一部を成すときは、これを含む)、労働時間、時間外労働、有給休暇、家内労働についての制限、雇用についての最低年齢、見習及び訓練、女子及び年少者の労働並びに団体交渉の利益の享受にかかわる事項であって、法令の規律を受けるものまたは行政機関の管理のもとにあるもの。
(b) 社会保障(業務災害、職業病、母性、疾病、廃疾、老齢、死亡、失業、家族的責任その他国内法令により社会保障制度の対象とされている給付事由に関する法規)。ただし、次の措置をとることを妨げるものではない。
(ⅰ) 当該難民が取得した権利または取得の過程にあった権利の維持に関し適当な措置をとること。
(ⅱ) 当該難民が居住している当該締約国の国内法令において、公の資金から全額支給される給付の全部または一部に関し及び通常の年金の受給のために必要な拠出についての条件を満たしていない者に支給される手当てに関し、特別の措置を定めること。
政府が難民認定している人たち、または認定してなくても実質的に難民とみなされる人たちは、この条文によればたしかに内国民待遇しなければならない。
何をどこまで求めて家事をしているのか分からないけど、
育児をしているわけでもないのに、一年中家事に忙殺されて動けない、なんてことはありえない。
それじゃあなんで世の女どもは「家事が忙しい」などと嘯くのか?
ありていに言えば「かまってちゃん」なわけだが、これが根深い。
自分が世の中にいてよくて、誰かに大切にされている、ということを実感できていないわけだから、
そりゃ焦りもするし不安にもなる。
食欲だの性欲だのよりはるか上位にある欲求だし、最近の犯罪の多くも、結局これが原因だ。
パートに出たり、習い事を始めたりしてそれを解消しようとする主婦は多い。
旦那のほうも、その時間を作ってやっているのだから満足しろ、と言いたくなるはずだ。
でも結局、パートや習い事なんてものは「誰にでもできる簡単な作業」でしかない。
責任ある仕事やその人にしかできない専門職を担ってきた人なら、満たされない気持ちがかえって際立っていく。
自己承認欲に対する欲求不満は、主婦の職業病と言ってもいいかもしれない。
社会との唯一のつながりは旦那だけ、その旦那が評価するポイントが家事だけなのであれば、
家事がいかに大変な仕事で、自分はどれだけ頑張っているかをアピールしてしまうのはある意味必然。
しかも、家事というのはできていて当たり前、できていないと怒られる減点方式の評価しかされない。
どんなに頑張っても「普通」以上の評価は得られないのだ。
だから女は「愛してるなら手伝って」などと言う。
それ以外に表現方法が見つからないからだ。
かまってほしいけど、どうして欲しいのか自分でも分からない。
それが家事至上主義と呼ばれる現象の本質ではないかと私は思っている。
だから、バカ正直しぶしぶ手伝ったりしても無駄だ。
家事を奪えば奪うほど、女は逃げ場を失っていく。
今度はやり方がダメだと注文をつけたり、より無理難題を押し付けたりしてくるはずだ。
最近流行りの新型うつに感染する確率も、どんどん高まっていく。
世の旦那さんがたよ。
彼女や奥さんが自分で考え、実行したことを見つけてやっていますか?
成功にせよ失敗にせよ、それを評価していますか?
彼女が興味を示したものに、あなたも興味を持ってあげていますか?
たとえば愚痴でもいい、何かを話して、彼女にアドバイスを求めることは?
ペットではなく、メイドでもなく、デリヘル嬢でもなく、なぜ彼女と一緒に暮らしているのか、考えたことはありますか?
お互いの信頼やコミュニケーションに不備があるのでしょう。
「性格の不一致」としたほうが、丸いと思います。
お互いが問題解決のために確実な手段を採用した結果ではあるけどね。
未だに理解されてないみたいだけれども、彼らが相手にマニュアルを読ませたがるのは、相手が疎ましいから、ではない。むしろ逆で、相手に正確で確実な情報源を提示するという、彼らの中では最も親切且つ適切な対応をとった結果に過ぎない。(自分を含めた)人間の記憶を信用しないのは技術屋さんの職業病みたいなもんだからね。
本当に疎ましいと思っているのなら、その場でいい加減な事をテキトーに教えて、それで録画失敗していてもその場を言いつくろってあとは放置するよ。だけれども、「普通の人」にとっては結果的にそっちの方が「あの人は親切だ」という評価になる事もあるから非常に厄介。見たい番組が見られなかった程度の事なんて数日で忘れちゃうだろうし。
裁判員制度が始まることについて、知人の弁護士に聞いてみたんだ。
そしたらそいつはこう答えた。
「裁判員制度なんか迷惑以外の何ものでもない。
素人にも分かるように説明しなければならないので、争点が極めて単純になってしまう。
弁護士をはじめ裁判官や検事など、裁判に関わる人間はその制度を誰も喜んでいない。」
バカかと。
お前みたいな法律オタクが、密室で被告を裁くのを減らすために裁判員制度ができたんだろ?
・・・と思ったが、弁護士を敵に回しても得は無いので
「そっかー」
と、笑顔で答えておいた。
弁護士が「先生」「先生」と持ち上げられ、周りにYESマンしか集まらない理由が少しわかった。
これは職業病だと思う。
過去の判例ではどうだったのか。その事実はあったのかなかったのか。など、
とにかく弁護士の仕事は過去との取っ組み合いだ。未来を創る職業ではないのだ。
裁判が変わってから、その変化に合わせて弁護士もようやく対応を始めるのだろう。
過去が変わらないと今の彼らは変われないんだ。
>「歴史や政治、道徳や思想の入り組んだ問題」について、不用意に語る人が多すぎるのが自分には気になって仕方ない。彼らが語れる「つもり」になっていることがとても気になる。そしてそういう場合「分かりやすく説明するよ」という詐欺師が横行することが更に更に気になって仕方ない。「分かりやすい説明が存在しない問題」について「分かりやすく説明する」というのは、端的に言って詐欺だ。
自分はそれをよくやるタイプだ。
もちろんデマを飛ばそうとしてやっているわけではない。
たとえばある法案について政府が明らかに変だ、とかいう場合。相手が誤解しているかも、と思う場合。
別にわかりやすく説明するよ、というのは動機ではない。
売名が目的ではなく、それ違うだろ、違うだろ、というのが動機だ。
そして自分は特に口がうまいとは思っていない。
だから変なことを言ったら淘汰されていくだろうという一種の甘えのようなものがある。
が、状況によってはそれが広まったりするので己の状況認識の甘さ、無責任さを思い知らされる。
わかりやすくと言うのは職業病なので、これは直らない。というか職業上直せない。
業務外でやるときにはあまり知らない分野に手を出すことを控えるくらいしかない。
ただそれを自分でよく知っていると思い込んでいる場合がある。
妄想と自惚れと言うやつだ。
必要なのは要するに自制と自分の限界を知るということなのだろう。
それを考えると公開で文章を書くということは怖いことだと思う。
昔やった文章で一つ爆弾を抱えている。
今付き合っている人たちとはあまり関係ない。
爆薬も湿ってしまった。
結局それは世に出さなかった。
とてもわかりやすい文書だった。ある解釈によっては危険な文書だった。
出さなくて正解だと思っている。
自制ってなんだろうか。どうしてあの時はできて、あの時はできなかったんだろうか。今いろいろ考えている。
Enterprise Strage Serverだと思ってしまう俺は職業病。