はてなキーワード: 耳鳴りとは
うつ病の症状で最も辛いのは、これまで普通に出来ていた日常生活が思うように出来ないことです。
一緒に生活している家族だからこと、患者さんの変化に気づけるのです
例
からだの症状が現れていないかを聞いてみると、自分の不調を自覚しやすかもしれません。
眠れない、食欲がない、落ちんでいるという症状はうつ病でよくある症状ですが、
時に逆の症状があらわれることがあります。
大切なことは、「様子がおかしいな・・・?」と感じたらそのままにせず、本人に確認してみてください。
「くぱぁ」って何なんだろうか。
はてなキーワードの説明だと、『「くぱぁ」とは、主にエロマンガで女性器を拡げた時に用いられる擬音』だとされている。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%AF%A4%D1%A4%A1
気になって仕方無かったので、妄想を交えつつ、テキトーに考えてみた。
(以下の文章は、面倒くさいのでネットで調べることもせず、思いつきで書いてます。増田のすることですんで、勘弁してやってください。)
擬音を、おおまかに分類すると、2つのパターンがあるんじゃないか、と思う。
(1)実際に発生している音に近づけるように、音を参考にして作る場合
(2)実際に発生している音とは別個に、独立して作る場合
とりあえず、この2つ。
まず、(1)実際に発した音を参考にして作るパターン。
実際に発生した音を耳で聴き、それに近いと感じるカタカナを当てはめて作ってるっぽいやつだ。
たとえば、マウスをクリックするときに発する音は、「カチッ」という擬音で表現したりする。
マウスをクリックしたとき、本当にカチッという音がしているか、と聞かれると、微妙な気もするけれど、そう聞こえないこともない。
「カチッ」=「クリックする際に発する音を表す擬音」だというのは、たいていの日本人にとって、違和感を感じないのではないか。
馴染むというか、何というか。しっくりくる擬音なんじゃないかと思う。
・・・でも、女性器を拡げても、たぶん「くぱぁ」なんて音はしない。
「くぱぁ」は、(2)の実際に発した音とは別個・独立して作っているパターンの擬音なんだと思う。
実際に発生している音とは、直接的な関係なしに、擬音を創作するパターンは、意外と多い気がする。
怒っている状態を「プンプン」などと表現したりするが、怒っている人は別にプンプンと音を発したりはしていない。
でも、怒っている状態を表す擬音として、プンプンを当てはめることに、何となく納得してしまう。
こういう擬音は、たぶん、日々の生活で、人と会話し、文書を読んだりTVを見たりして、繰り返し触れているうちに、いつの間にか、体に馴染み、腑に落ちるようになっているのだろう。
この(2)のパターンの擬音は、最初に、誰かが創作しているはずだ。
(1)のパターンの擬音も、誰かが最初に言い出したことに違いはないのだろうが、たぶんその人が言い出さなくても、いずれ生まれたんじゃなかろうか。
同じ言語を用いる地域内においては、実際に発している音は、みな、同じように聞こえるはずだから。
でも(2)のパターンの擬音は、そうはいかない。
音が実際に発しているわけではないのだから。
きっと、従来の擬音では表現しきれない感覚・思いを、誰かに伝えたくて、創作者が知恵を振り絞って生み出したものなのだと思う。
(2)のパターンの擬音は、実際に発する音とは、直接の関係なく生み出されるものであるとしても、既存の言語感覚とは無縁ではいられない。
社会で共有されている言語感覚と、まったく無縁の擬音を創作した場合、受け手にとって理解するための取っ掛かりがない。
TVのCMのように、繰り返し浴びせる手段があるなら、そのうち新しい擬音に馴染んでくれるかもしれないが・・・。
継続的に情報を刷り込むような媒体でない場合(小説や漫画などの場合)、一回で意味を理解させなければならない。
瞬間的に意味を理解するためには、従来の言語との連続性・類似性が必要なのだ。
擬音がどんな行為・状態を指すものなのか、理解されなければ、共感されようがない。
(2)のパターンの擬音は、自己の感覚・思いを他人に伝えるために生み出したものである、と先に書いた。
共感を生まない擬音は、この役割を果たさないものであり、ただの独りよがり、無意味な存在でしかないだろう。
(あまりに奇異な擬音の場合、2ch等のネット上で叩かれ、注目の的になり、逆に広まったりすることはあるかもしれないが・・・。)
手塚治虫氏が、静寂を表す擬音として「シーン」を創作した話は、有名な話だと思う。
そもそも、静寂とは、限りなく音のない状態なのだから、その状態を示す擬音を作れと言っても無茶とも思われる。
それでも、漫画表現の新境地を切り開くべく、知恵を振り絞って生み出したのが、「シーン」なんだろう。
「シーン」も、まったくの思いつきで作られたものではなく、周到に、当時存在していた言語感覚を踏まえて作られたものだと考えられる。
静寂、つまり外部が限りなく無音に近い状態の場合、人間の耳は、体内の音を拾うらしい。
そのとき人は、耳鳴りに類する音を感じるようだ。
「耳鳴り」は擬音としては、「キーン」などと表現されることが多い。
「シーン」という擬音は、この「キーン」との類似性を利用して、限りなく音のない状態を感じさせるために、作られたんだろう。
なんか、そういう話だった気がする(うろ覚えだけど)。
散々グダグダ書いてきたが、それでは、「くぱぁ」は、どうやって作られた擬音なのだろうか。
思うに、これは3つの段階を経て、形成された擬音なのではないかと思う。
【第1段階~反対語のイメージ利用~】
食べ物を口に入れ、「閉じる」ときの擬音として、「ぱくっ」「ぱくぱく」などがある。
逆に、「開く」動作の擬音として、「ぱかっ」、開いた状態の擬音として「ぱっくり」などがある。
だから、女性器を拡げる動作、拡げた状態を示す擬音として「ぱかっ」「ぱっくり」を用いることも可能である。
(現に、「ぱっくり」という擬音は、エロマンガその他小説等においても、時折使われている。)
しかし、「ぱかっ」では、女性器を拡げる動作、拡げた状態を示す擬音としては、軽すぎる。
どうにも、乾いた響きしかしない。
一部分、というより、足全体を拡げるときに使うほうが、しっくりくるだろう。
「ぱかっ」は、「粘着質な液体により接着された状態のものを開く」擬音としては、物足りない、どうにも力不足なのだ。
だから、新しい擬音を生み出す必要がある。この際、既に社会に浸透している擬音との類似性・連続性を利用しない手はない。
「ぱくっ」「ぱくぱく」「ぱかっ」「ぱっくり」など、メジャーな擬音のイメージが利用できるなら、するべきだろう。
「ぱくっ」は「閉じる」動作を示す擬音である。
「開く」のは「閉じる」の反対の行為だから、「ぱくっ」をひっくり返して「っくぱ」とすれば、開く動作を想起させる擬音として使えるかもしれない。
しかし、最初に小さい「っ」を持ってくるのは、発音しづらいく、擬音としておかしい。
小さい「っ」は、通常の擬音と同様、一番最後に持ってくるべきだろう。
だから、ここでは「くぱっ」となる。
【第2段階~語尾の変更~】
さて、その1の作業で、まず「くぱっ」という擬音ができた。
小さな「っ」が最後に来ると、小気味よいリズムが生まれる。
動作として素早い感じ、そんなイメージを持つ方が多いはずだ。
「くぱっ」でも、女性器を拡げる擬音として、用いることは可能だ。
だが、その用途は非常に限定されたものになるだろう(・・・勢いよく拡げるときとかだろうか)。
冷静に考えてみてほしい。
素早く開くなんて、如何にも味気ないのではなかろうか。
著名な仏閣の御開帳だって、数百年に一度だったりするではないか。
勿体ぶって、じっくりゆっくり開くべきだろう。
求められているのは、「粘着質な液体により接着された状態のものを開く」擬音なのだ。
そこで、「っ」の代わりに、「ぁ」である。
「くぱぁ」
柔らかくてゆっくりした、緩慢な動作・状態を感じとってもらえるのではないだろうか。
まぁ、なんで「ぁ」だとこういう感じになるのかは、説明しづらいのだけれども。
(段々、考えるのが面倒くさくなってきた)
【第3段階~ひらがな・カタカナの選択~】
もう、その2の段階で、「くぱぁ」は完成してしまった。
なので、その3は確認作業でしかないのだが、念のため一緒に確認してほしい。
日本語で擬音を表す場合、表記の方法として、2つの方法がある。
そう、「ひらがな」と「カタカナ」の2つだ。
擬音に込めた感覚・思いを、より正確に他者に伝えるには、「カタカナ」を用いた方がいい場面もある。
・カタカナは、直線的であり、鋭角的である。
・ひらがなは、曲線的であり、鈍角的である。
この文字を構成する線の形状の違いから、ひらがな・カタカナ自体に、一定のイメージが生まれる。
たとえば、スピード感、緊迫感、硬度、強調を伝えたいときは、カタカナで擬音を表記した方が、適正なはずだ。
だが、今回のテーマ「くぱぁ」は、上のようなスピード感等を伝えたいわけではない。
一応、試しに表記しておこう。
・「クパァ」 ・・・やっぱなんか違う。
・「くぱぁ」 ・・・やっぱ、こっちのほうがしっくりくる気がする。
そんなわけで、「くぱぁ」完成。
今回「くぱぁ」について考えたことのまとめ。
「くぱぁ」は、「反対語」の持つイメージを利用し、より感覚に近い「語尾」を選びつつ、「ひらがな」の特性を活かした、発明と評しても良いほど、優れた擬音なんじゃなかろうか。
・・・んなこたぁないか。
もしここまで読んでくれた方がいましたら、長文読ませて、すんませんでした。
【6月10日追記】
意外に読んでくれた人が多いようで、・・・ありがとうございました。
TBで指摘されていた「擬態語・擬声語・オノマトペあたりを使えば前半の説明が楽になりそう」ってのは、まったくもってその通りだと思います。
その通りだとは思うんですが・・・。
そうすると、擬音語・擬態語に区分する際に、「くぱぁ」を「擬態語」に分類せねばならなくなってしまう気がするんです。
う~ん・・・、上手く表現できないんですが。
何ていうか、「くぱぁ」は「擬態語」ではなく、あくまでも「擬音語」として扱いたかったんです。
先ほど見た、はてブのコメントで、『「「くぱぁ」なんて音はしないとは、さては童貞だなっ』というのがありました。
これって、凄く重要な指摘なんだと思います。
童貞かどうかはさておき、「女性器を拡げ」たら「くぱぁ」という音がする、
醒めた頭で考えれば、これは一種の「ファンタジー」です。
そう信じる子どもに、「サンタは来ないぞ」と告げ、ファンタジーを否定することはないんじゃないでしょうか。
時には、ファンタジーをファンタジーのまま、留めておくということも必要ではないかと。
・・・やっぱり上手く表現できませんね。
自分で「くぱぁ」なんて音はしないと書いておきながら、擬音語として扱いたいとか、何が言いたいのやら。
自分でもわかりません。
他にもTBで、『その理屈で「ドッギャーン」とか説明できるんかいな。』 とありました。
荒木先生がどのように考えてドッギャーンを生み出したか。
その生成過程は、私などの知見の及ぶ領域ではありません。
ゆえに、説明は難しい、と思います。
あえて、妄想を膨らませてみるならば、こんな感じでしょうか。
「ドッギャーン」は、たぶん、爆発音を示す擬音語の「ドッカーン」、人の悲鳴を示す擬音語の「ギャー」を組み合わせて作った擬音語。
まず、爆発音に対して、生物は、自己の身体を守るため、強い反応を示すだろう。
また、人の悲鳴に対して、人間は、自己の身体を守るため、強い関心を抱くはずだ。
創作者は、こうした本能に訴えかける場面を想像させる擬音語を、重ねて使用することにより、読者に、強烈な印象を与えたかったのではないか。
「くぱぁ」が出来るまでを妄想した、3つの段階に照らし合わせると・・・
(1)既存の擬音語2つを、その擬音語が持つイメージを利用するために掛け合わせる。とりあえず「ドッカーン+ギャー」。
(2)音声化した際に、一番伝えたい感覚・思いに近いように、言葉を並べ替える。この場合「-」のところが重なるようにするのが一番違和感がないはずだ。そうすると、「ドッギャーン」が出来る。
(3)この場合、強い衝撃を表現したいのだから、表記はカタカナのまま。
こんな感じに、似たような理屈で説明・・・できてるのかなぁ。
補足しておくと月経前症候群、毎月生理前になると情緒不安定・微熱・吐き気・耳鳴りとか人によって色々出る。
それぞれの症状の複合もある。
更年期障害はホルモンバランスと関係が有るので月経前症候群に近いかもしれない。
それが年単位で続く。
男性も更年期が有るそうだけど女性より緩やかだから顕著な症状は出にくいらしい。
生理も人によって重い軽い有るけど重い人は貧血になるし、生理痛だって腹痛のほか腰痛頭痛人によって色々有る。
生理痛の痛みは理解できないとよく聞くけど、内蔵をわしづかみされるような痛みを感じる。
波が有るものの立っていることが困難なこともままある。それも毎月。
なら生理が来なければいいと思うこともあるけれども生理不順になれば不順になるだけ病気の可能性もあるだけに不安になる。
血で寝具を汚しそうで夜落ち着いて寝られないこともある。
経験がないから実際どうなのかは解らないけれども聞くところによると鼻に大根を無理矢理突っ込むような痛みだとか聞いたことが有る。
でも女には金玉攻撃された時の苦痛は理解できない。金玉無いから。
でもそれって女性器もないし妊娠することもないから生理痛や出産の痛みが男には解らないというのと同じだよ。
女性は病気になりにくいと言うけれども婦人病と呼ばれてるような女性がなりやすい病気というのも沢山ある。
女性に前立腺関連の病気がおこらない代わりに女性固有の器官の病気だっていろいろある。
http://www.k-salad.com/dic_trouble/condition09.shtml
女だから優遇されてるとか男だから病気になりやすいとかナンセンスだと思う。
「女」はストレスや痛みに強いという生物学的な利点は有るかもしれないけど、
男女どっちの性でも有利・不利が有るのにと思ってやまない。
自分のケースでしか話すことができなくて恐縮だけど、内耳圧の話詳細。
まず、自分の場合、あくびのはじめに発生する、耳の奥あたりでじょりってなるあれを常時あくびなしで発生させることができる。トンネルの中に入った時みたいなぼわーんがきても、普段はすぐにそのじょりっで内耳圧リセットできる。
風邪の時は朝起きた時あたりに耳がトンネル状態になってて、じょりってやろうとしても何故かその辺の機能が死んでてできなくなってる。それで、あー風邪だ、かっこんとーかっこんとーってフェイズに移る。
きーんとした耳鳴りはそれとは別ベクトルで来るから、正直分かんない、お役に立てなくてごめん。普段自力で耳鳴り止められる体質なのに止められないんだとしたら、風邪サインの仲間入り果たしてもいいサインだと思う。
体温は変動しやすいからあんまり計らないなあ。ごはん食べるだけで微熱出るし。
言いたかったことは「人それぞれ」って話なんです。よその人のサインを無理に自分に適用させると余計判断に困るよと。長々すみません。
今、真剣になって仕事をしている。
とにかく休む暇無く動いている。
3年前まで僕はぐうたらなフリーターだった。
どうして今、こんなに必死になっているのか。
僕を動かす原動力になっているのはただ一つしかない。
ある人への底知れない憎しみだけだ。
僕はあの人の事を考えるだけで頭の中が真っ白になってしまう。
それほどほど憎んで、怨んでいる。
彼と僕は親友だった。
少なくとも僕はそう思っていた。
彼曰く、僕と彼はとても似ていて共感できる部分が多かったらしい。
馬鹿な僕はそれをすんなり信じ込んですっかり親友気取りだった。
ところが彼と知り合うにつれ、うまくいかないことが急に増えだした。
こと、人間関係はビックリするくらいこんがらがって、気が付いたら僕は孤立していた。
皆が口をそろえて僕を非難する。
あることないこと、どんどん尾ひれがついて、どうしようどうしようとあたふたしている間にすっかり僕は「悪人」になっていた。
意味がわからず彼に相談すると、彼は冷たく笑って「ぜんぶ本当の事だから仕方無いよな」と言った。
僕はぽかんとするだけだった。
それからしばらくして僕と彼の共通だった人が色々と話してくれた。
それを聞いて僕は愕然とした。
詳細は書けないけれど
つまり、彼は最初から僕のことを親友だなんて思っていなくて
お人よしそうだったから利用していただけで
でもうまく利用しきれない苛立ちから、今度は僕を孤立させる作戦に出たわけだ。
彼の思惑通り僕はすっかり悪者になって、彼はヒーローになっていた。
「僕に騙される寸でのところで救われた」人々は彼を慕い、僕を心底憎んだ。
もちろん僕の口下手なせいもある。
引っ込み思案で言いたいことを言えない性格にも問題はある。
けれどすべてがそれのせいだとは、流石に納得できなかった。
僕は彼と繋がるものを全て絶った。
そして彼に復讐することだけを考えて3年を過ごした。
バイトをやめ、彼と同種の職業に就き、彼を越すことが僕の復讐だ。
その為には何だってする。
眠るのも食事も彼女も友達もいらない。
僕は僕の一生をかけて彼に復讐する。
ただやはり、この負の起爆剤はよくない作用も引き起こす。
半年前からは激しい胃痛と吐血を繰り返すようになってしまった。
でもあれから僕は1日だって休んでいない。
だってこれくらいでへこたれるくらいだったら、最初から立ち上がらなかった。
あと少し。
あと少しで彼に復讐が出来る。
その日まで僕の心と体が持ってくれますように。
きっと僕は間違っている。
いつか罰が当たるかもしれない。
それでも後悔しないくらい、僕は彼を憎んでいる。
僕に生きる道を与えてくれた君。
本当に有難う。
もう少しだから、首を洗って待っていてね。
分裂病の気があるよ、って言われた。こんなの皆普通でしょう?って言ったらそうじゃないんだよ、それが。だって。私が分裂病なら、患者以外の人達は想像力の欠如じゃないのかなー、と思った。
判断基準のひとつに、時報の音?みたいなのが時々聞こえる、ってのもあったんだけど、時々鳴らない?
私はあれが耳鳴りだと思って生きてきたんだけど、実は耳鳴りって別のものなの?お医者さんいった方がいいのかな…でも日常生活に支障はきたしてないし、言われなければ判んなかったし、
っていうか、こんなのが病気って言われたら、心は何のためにあるのか判んなくなってきちゃうよ。
病院にいって、そう診断されたらどうしよう。私は私が普通だと思ってたのに、病気だったら…?
中学生くらいの時から隣にいる誰かの気配は感じてたけど、そいつが実際にいないのは判ってるし、
時々心の中で相談のってもらったりして、もう一人の自分、みたいなものかと思ってた。
でもそれはおかしいことなのかな。皆の中には自分の心と相談したりすることがないの?
もーわけわかんないよー私元気だようー…
暇だから乗っかってみた。あ、完全にフィクションです。もとの増田さんごめんなさい。
http://anond.hatelabo.jp/20070604152429
その男の顔を、本に視線を落としながら、目だけでよく観察する。するとどこかで見たことがある様な気がしてならない。
しかし、それが一体誰の顔で、どこで見たのかはっきりとしないのだった。間違いなく見たことがあると思える顔なのだが、それが誰なのか断言出来ないというもどかしさが胸の中でぐるぐると渦巻いていた。
電車がトンネルに入った。耳鳴りがする。気圧の変化に上手く対応出来ていないのだろう。その度に僕は唾液を飲み込もうとする。こうすれば治ると教えてくれたのは誰だっただろうか。確か、祖母の家に向かう途中で教えられたのだったと思う。
父だ。父が教えてくれたのだ。
その事を思い出したとき、僕はハッと顔を上げた。女の子と話す男の顔を見る。それは僕の顔に似ていた。もっといえば、それは父の顔に酷似しているのだった。
おんなじかどうかわからないけど、子供のころ、よくあったよ。物心ついてから小学校高学年くらいまでかな。
寝てるときか、感情の振幅が激しくなって頭がオーバーフローしてる時に起こってた。
人の顔とか壁の模様とかを見つめてると、それが伸びたり縮んだりするんだ。
距離感も変わるので、動かず座ってるのに遠近感がめちゃくちゃになる。
寝てる時に起こる奴は、自分が縮むやつ。巨大な部屋の巨大な布団の巨大な枕にくっついた虫サイズに縮んだ気がしたり、急に元のサイズに戻ってびびったり。
ごわんごわんした耳鳴りがセットで、一人だとすごい怖かった。人がそばにいると怖いより可笑しい感じ。こいつ縮んでるよみたいな。
アリス症候群ていうのか。知らなかったよ。Wikipedia便利だね。
長じてからもたまにあったので、高校生くらいの時に調べて、離人症なのかなと思っていた。
俺の場合は、自分が静止してる時にしか起きなかったので、動き回ったり何か食べたりして解消しようとしていた気がする。
同じ対処で良くなるかどうかはわからないけれども。