「日本民族」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 日本民族とは

2009-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20090316221927

これは他国への不法入国者についてはちゃんとした対応しないわけにはいかないわ。

そう。だからこの件で在留許可を出してしまったら、フィリピン(を含む諸国)から不法入国者が殺到する事態になりかねなかったわけ。ちなみに日本への不法入国者数は毎年10万人近かったりする。これ以上増えて貰っても困るよ。

さらに、彼らを支援している団体や弁護士思想的な背景が事態の理解を余計にややこしくしている。邪推の余地ありまくりで、事実と推測を切り離すのがとっても面倒。

実際、多民族共生とか多様な価値観とかを掲げてる連中の中には、日本国の中に日本人しか居ないというのはおかしい、もっと多様な文化や民族を招き入れるべきだ、「日本国」における「日本民族」はその中の一部でよい、なんて思想の持ち主もいたりする。あの一家の支援者達がそうだという証拠は今のところ無いが、警戒するに足る存在である事に変わりはない。

2009-02-05

にほんめつぼう?

麻生、あべし両方好きだし、前回の参議院では民主に入れてないけど。

でも、次あったとき民主入れない自信がないw

民主政権とったときの大手メディアの様子が見たいという気持ちが大きい。

日本が悪くなっても、ワープアじゃ子供残せないし関係ないや。って日本民族はどうでもよくなってきてる。

民主が、麻生さんを外務大臣にします!っていうなら、もう民主確定なのになー。

http://anond.hatelabo.jp/20090205130724

2008-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20081208222852

絶滅はしないだろ。江戸時代には閉じた環境で3000万人を保って体制維持し続けたんだからさ。日本列島は3000万人を養うキャパはあるんだろうたぶん。ただ、そのために「日本人は4人に3人死ね」っていうのは民主主義では言えないわけよw 言えたとしてもスムーズに3000万人に着地できるわけもないだろうけどね。

日本民族?と自分をそこまで同一化できるのは不思議だ。私は自分家族や友人や子孫が大勢悲惨に死ぬよりは移民受け入れの方がいいなぁ。

今回の法律の話してたのお前。めっちゃ的外れよ?

http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/56046895.html とか読んだ?

http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20081208/1228709887

国籍法についてあんまり興味なかったのだけれども、ちょちょいと巻き込まれたりしたので関心を持つ様になった。

政治に関心はあるけれど、主義主張皆無のノンポリだから、この件に関しては皆が丸く収まればどうでもいいと思ってる。

それでも、なんか色々と回ってみると、思うところも出てくる。

自分ダイアリーは単なる日記だから、そこでこの手の話をして、イデオロギー人達に巻き込まれたくないので増田

チキってすみません。

<わたしの理解>

違憲判決は要するに、

ということなのだと理解した。

極真っ当で当たり前の話だと感じた。まあ普通そうだろう。

それで、この国籍法改正に反対する人達意見は・・・・

しがって・・・・・

結論1:国籍法改正反対だよ(もう通過成立しちゃった)

結論2:偽装認知できない様に、DNA鑑定を導入して父子関係を検証するようにしてよ(議論中)

それで、それに対する、改正賛成派の対抗意見

とか大体こんなところか。

とにかく、国籍法改正自体を否定するというのは無理があるし、認知DNA鑑定を導入するというのも無理らしい(よくわからんがそうらしい)。

反日がどうとか民族主義がどうとかはどうでもいい。放置


<わたしの思ったこと>

それで、疑問に思ったことが一つ。

そもそも、今回の違憲判決は、以下のような子に日本国籍を認めないのは法の下の平等に反するという判決

  1. 父親が日本人である
  2. 父親は外国人である母親婚姻関係に無い
  3. 胎児認知されず、生後認知された

これを見ると、今回の法改正に関して日本国籍を取得できる要件というのが明らかになってくる気がする。

つまり、

  1. 父親は日本人である
  2. 父親の認知がある

という二条件が日本国籍取得の要件になる。

しかし、そもそも、

しかしそもそも現状の認知制度が血縁関係の厳密な認定を求めていません。ならば、外国人との子ばかりではなく、日本人同士の場合を含めて、認知のありかたを議論する必要があるでしょうね。

(閣僚経験のある与党議員事務所

http://www.kinyobi.co.jp/backnum/antenna/antenna_kiji.php?no=419

らしいから、実質、条件は、

  1. 日本人である男の認知がある

という一条件になってしまうんじゃないのか?

というようなことを思った。

だとすると、そもそも、「法の下の平等」に違反する要件であるはずの、

  1. 父親が日本人である

というやつに当てはまらなくなるんじゃないのか?

というようなことを思った。

この場合、「父親」=「法律上の父親」ということであって「血縁上の父親」ではないということになる。

まあここら辺は、別にいいとしよう。養子縁組なんて昔から日本では普通だったし、血縁上の父親かどうかなんてどうでもいいことさ。

<わたしの疑問>

しかし、だとすると、「偽装認知」なんて、そもそもにして認知制度上存在するんですかね?

これが真の疑問です。

偽装認知」なんていうのが、血縁関係を重視しない認知制度の上で存在するんですか???

<わたしの言い訳

ほんとにイデオロギー人達に巻き込まれたくない一心で言うんだけど、わたしとか別に日本日本人世界からいなくなっても別にそうなったらそうなったで仕方ない、かまわないと思っているし、反対に、日本日本人世界で褒められたり、強かったりしたら単純に誇らしく思ったりするし、反日といわれる国の日本に対する憎悪とか辟易するし、日本日本人の国であるべきとも思わないし外国人増えて全然かまわないと思っているけど、まあ日本乗っ取られたりするのは厭だなあ、とも思うし、まあそんな程度の人間ですから。自分から2つ先の人間関係までうまくいってれば、それで全然かまわないと思っているような人間ですから。

だから、このエントリーで気に触ることが在ったとしても、イデオロギー人達はわたしのことをあんまり責めないでください。お願いします。

<読んでみたところ>

http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20081208/1228709887

http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/56046895.html

http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/56014650.html

2008-07-09

民族の状態は歴史が形成した証明である


 民族の持つ本質が、その民族社会の形を、長い時間を通して形成していく。

 逆に言えば、長い歴史によって作られたきた社会の状態は、その国の民族(の本質)にとってバランスのとれた状態なのである。

 その状態を大きく崩すと、その民族の安定生存や社会成立に著しい問題が起き得る、ということなのだ。歴史上の大勢が、その指標なのである。

 欧州・特に北欧では、福祉や、男女の「非差別」と「正しい区別」が、高いといわれる。

 歴史上、社会活動の主役は、やはり男性であった。(文化民族を問わず、有史以前から男性はそのように作られているからである)。

 しかし、生活上の意識マナーにおいては「女性をこそ大切に扱う」というような意識文化が、歴史を通して成立している。 この民族本質に基くバランス点を、歴史が形作り、歴史が証明しているのである。

 一方、現在米国は、欧州からの移民によって作られた地域である。開拓の必要があることや、古い社会形式に縛られる必要がないこと、などの理由により「社会上や生計上では女性も引っ込んではいられない」というオープン意識文化が形成されていったが、一方で、欧州の「生活マナー上で女性をこそ大切に扱う」という意識も受け継いでいった。

 数百年ではあるが、やはり、米国を形成していった民族本質が、現在にもうかがえるのである。

 さて、我々の日本はどうか。

 日本では、社会活動はもちろん男性のものであったが、生活の上でも「男尊女卑」の毛色が強かった。現在での(主に)女性による女性解放運動の意識的な原点となっているようである。

 しかし、日本の「歴史上の男尊女卑」についても、「歴史が作っていったバランス点」であると考えるとどうなるだろうか。いや、そのように考えてこそ理性的である。

 

 そのように考えると、日本民族本質が落ち着いた(落ち着いてきた)ところは、「男尊女卑傾向」なのである。

 すなわち、「日本では、男尊女卑傾向を一定以上崩してしまうと、安定生存や社会成立に著しい問題が起き得る」ということになるのである。歴史がそう言っているのである。

 そして実は、歴史が言ってくれるまでもないようである。日本ではこの数年??数十年、「女性が、歴史に与えられた地位から、大きく逸脱しようとしている」というような動向が活発になってきており、それと時期を同じくして「子供たちの正常な精神成長」に社会規模的な異常が見られるようになってきている。

 他の倫理観、特に男女関係根底にある社会倫理観なども、ゆがみ出してから久しい。(その代表的なものが、親となる男女によって行われる「子供たちの正常な精神成長」である。)

 …これらは何を意味しているか。残念ではあるが、砕けて言ってしまえば、「日本民族総体として、女性には、社会進出などを行うための自制や論理観や公平性に民族本質的に欠けている」のである。その本質が暗黙的に、歴史をしてバランス点を形成せしめ、数十年前までの長い歴史の状態という答えを出さしめてくれていたのである。

 「日本男性が、女性の進出を阻むような、劣った存在であるからだ」と考えてはいけない。それは社会が成立されていく過程の存在意識していない、個体的な狭い了見である。

 民族が集団として成立し始めた頃には、誰も「誰かを恣意的に差別」しようとはしない。偶然「或る特定の個対象差別される」ということはあるだろうが、「全体として、係わり合いのないはずのアチラとコチラでも、同じような意識がある」からには、そうなるべくしてなった理由があるからなのだ。

 欧州では、「社会活動は主に男性」が望ましかった。これは体の作りや心理感覚などから見ても自然なことであった。

 しかし、社会未満の生活上の関係では「女性こそ守られる」という意識が成立していた。「女性こそ守られる」が成立していった裏には、「形質的な面などで守ってあげるべきであった。そして守ってあげても問題が起こらなかった。守られる方が優遇され過ぎたり主張し過ぎたり箍がはずれたりするような結果にならずにバランスがとれていた。」という過程と結果があったのである。そのことにより、民族文化自体が「女性を形質的な面で守ってあげること」を「善し」としたのである。

 米国地域では、基本的には欧州と同じであるが、「生計的な面では女性も活発に活動するべきである。そんなことに拘っていたら我々全体の生活が成り立たなくなってしまう。」などの意識が加わった。

 しかし、「形質的な面で女性を守ってあげること」を「善し」と認めてもらえるような本質と経緯がが存在したのは、やはり欧州と同じである。

 日本では…賢明な諸氏に対しては、もはや説明するまでもないであろう。

 総体として、地域によらず何れの村々でも、「形質的な面などで守ってあげるべきであった。が、守ってあげたら問題が起こった。守られる方が優遇され過ぎたり主張し過ぎたり箍がはずれたりする結果になってバランスがとれなくなってしまった。」のである。

 そして各々の村々では自ずと、「守ってあげてしまうと、問題を起こすし我々の安定生存に対して危険であるから、多少締め付けておくぐらいにしていこう」という結論を、半ば無意識的に出していったのである。これが、「民族本質が、社会の状態を、バランスのとれたところに落ち着かせる」という意味である。

 なお、これらの傾向は、日本のみならず、東??南アジアにおいて主だった傾向である。大規模地域的な民族性が、そうならしめているのであろう。

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