はてなキーワード: キ○ガイとは
要約すると
『泣けば許されると思ってんのか!!!!!!!!!
泣くぐらいだったら最初からやるな!!!!!!!!!!!
という野次の一つでも飛ばしたくなります。』
・落書きした女子大生を批判してるやつはキモい。日本人って根暗だよね。
しかも先方が許しているのに、この期に及んで徹底的に叩くとか、
自分はどんだけキ○ガイだよとか思いましたが、
・これがイタリアだったから良かったけど、中国や韓国が相手だったら日本はどんだけ足元叩かれたかって話ですよ
大問題になっていた可能性が高いでしょう。』
叩くやつも悪い、叩かれるやつも悪いと言いながら両方叩くという異次元の視点から物を言い、終盤ではいきなりの特ア批判まで飛躍。
何様なの?神様なの?
個人的にはこの事件、叩いてるやつに「じゃあお前どんだけ潔癖な人間なんだよ」って言いたい。
『罪の無いもが石を投げよ』っていう。
自分自身はそこそこカルマにまみれているくせに、勝手なときだけ真っ白でのっぺらぼうなアバター「日本人さん」とか「名無しさん」に化けて
「許せない」だとか挙句イタリアに「日本人を代表して謝罪します」ってメール出してるやつとかホント考えられない。
是非とも砂漠でラクダに逃げられてぇぇぇぇって感じ。
知っている人も多いかと思いますが、
実名まで割れて、叩きに叩かれついには先頃
現地までわざわざ出向いて学長ともども謝罪したそうです。
これは「何もそこまで」なのか、「当然」なのか、どちらなんでしょう
個人的には女子大生を擁護する気になれないんですよね
こういう「みんなが落書きしている」場所なら「やっちゃう」のは、
決して誇れることではないと思うわけです。
自分たちの名前と学校名を書くという、当人たち以外には
知性が感じられるし、楽しめる人もいるんで、まだ許せるんですけど。
まあ、泣いた方は自らの罪の深さを懺悔して泣いたわけではなく
自分の想像を超えて事が大きくなっていって
大聖堂の館長とか出てきちゃって、もうどうしていいか
わかんなくなっちゃって泣いちゃっただけだと思います。
泣けば許されると思ってんのか!!!!!!!!!
泣くぐらいだったら最初からやるな!!!!!!!!!!!
という野次の一つでも飛ばしたくなります。
イタリア側は謝罪に出向いた誠意を受けて
「平和大使」に任命したそうですが、なんとも安い平和大使がいるもんです。
本人はさっさとコトを収めたいから出向いただけなのに
恥の上塗りです。もしかしてイタリア流のお仕置きなんでしょうかw
日本側のあまりの厳しい対応にイタリアの人はどん引きしてるっぽいんですが、
自分はこれでいいと思うんです。
日本の観光地で外国人に軽々しく落書きされたらやっぱり不愉快ですし
「イタリア人が日本で同じことやったらこうしてもらいますよ」という
ある種の抑止力にもなると思うので。
しかも先方が許しているのに、この期に及んで徹底的に叩くとか、
自分はどんだけキ○ガイだよとか思いましたが、
自分のそういうところは本当に嫌いですが、やっぱり本音では
この女子大生を簡単に許す気にはならないです。
イタリア甘いよと。
こういう「過ちを許さない」窮屈なところは日本独特な気もします。
一昔前なら内定取り消し、嫁にも行けないみたいな状態です。
そういう窮屈さをみじんも見せずに軽々しく落書きしたところに
腹を立てているのだと思います。
日本で生活するなら、やっぱり自分が日々感じている窮屈さとか
ある種の異常さを他の人も同じように感じて窮屈な思いをしてくれてないと
ムカつくんです。日々を窮屈に抑圧されて生きるということは
日本人としての義務です。
だから落書きしたことに対してでなく、「窮屈な思いから逃れた」という
罪に対して罰を受けてほしいんです。
自分は日本のそういう窮屈なところから逃れたくて
よく海外に行きたくなるんですが、
見かけ以上に重い事件だなあと思います。
自分でこんなに叩いておいて言うのもなんですが
2ちゃんねるとかで繰り広げられた叩き方は異常です。
ただ異常ですが、多くの日本人の“本音”でもあると思います
他人の不幸を見て喜ぶという下品で迷惑な本音ですが、
そうやってお互いにストレスを与え合うことでやっとバランスが取れる
社会なんだと思います。
大問題になっていた可能性が高いでしょう。
でも「どうして女性なのに…有り得ない…」みたいな、なんかキ○ガイでも見るかのような驚きはやめてくれい……それこそ微妙に傷つく……
具体的に、どれとどれとどれ?本当にあったら加勢してあげるから教えて。
すくなくとも直近の増田の中ではこんな発言はなかったし、自分も目に入ったときは嫌だと感じる側の人間だけど、だからって即規制しろとは思わないし、そもそも感じ方はみな違うのは当然だし、男性で嫌と感じる人も女性で嫌だと思わない(むしろ楽しむ)人も当然いると思うし、そういう人はそういう人で尊重したい。
(それはそれで、そういうものを見て過去の嫌な記憶がフラッシュバックしたりするような経験してないんだろうなと羨ましく思うし、自分のみじめな過去とのあまりの落差に一瞬寂しい気分になるけど、でも本来はそんな経験ない方が正常なわけで、それこそが好ましい状態なわけで、それ言い出してもしょうがないし、と微妙な気分にはなる。正直なところ。大抵はそんなこといちいち言わないけど。)
上の発言は、増田の脳内で誇張されたイメージじゃないの?嫌だ嫌だと言ってる人は、いかにもこういうことを言いそうだという、どこかで見た最悪のパターンを継ぎ接ぎして出来た誇張のイメージ。実際嫌だと言ってる人を見ると以前見たそういうパターンを思い出すのかもしれないけど、そういうのを元に勝手に嫌な気分になられても、そうは言ってないわけで扱いに困る。現にあった行為に対してはなにか出来る。加勢も出来る。現にあった行為なら。
ポルノ話題をたどっていくと、結構最近目にするのが、「そもそもポルノの存在自体、女性である私にとっては不快感満載、傷つく」という意見。
はじめにその類の意見を目にしたときは、女子中学生じゃあるまいし随分ピュアな人だな、どっかの箱入り娘か?と思ったのだが、それから結構その手の意見が出てくるわ出てくるわで、ちょっと今、軽く困惑している。
――あれ?もしかして寧ろそういうもんなの?
と。
私は今まで、別に大人にもなれば女性もなんやかんやで皆オナってるし、そのときにはエロいもんを見てネタにしてるだろうし、よっぽどピュアな箱入り娘でもない限り、「存在自体、目にしてしまう事自体、嫌」な女性はごく少数だと思っていた。なぜか。……まあなぜかっていうか、単純に私が平気だったから皆も平気だろう(まさか自分だけ特殊な存在ではないだろうという平均値の心情が働き)という考えだったんだろうけども。
それでも性とトイレのことってのはあんまり他人同士語らうもんじゃないから、「え?うんこしたあとって前から拭くんじゃないの?」「後ろだろ!?」とかそう言う事がたまに起きたりする。今回もそんな感じで軽くカルチャーショックだった。
といってもまだ、「ポルノとかそもそも存在が嫌だし傷つく」派の女性が、多数派なのか少数派なのかは分からない。例によって「ネットはそういう極端な意見が多数派だと誤解されやすい」とかいうアレかもしれない。でもほんとうに多数派なのかもしれない。それはまだなんとも言えないが。
それでもネット上で、「いやまー猟奇モノでもなければ二次元エロはたいがいオッケーっすわ」的な話をすると「どうして女性なのにそういうのが大丈夫なの?全然気持ちが分からない」と返ってくるのは私にとって物凄い驚きだった。
そういわれても、実際にやるのと想像するのはちゃうでしょーよとしか言えん。
コナンとか金田一が好きだっていう人に「殺人の漫画なんて見て何が楽しいの?全然気持ちが分からない」とか言わないよね。それと同じだよ。とその時は言ったけど相手は納得していないみたいだった。
なんてーかな。フィクションで楽しむときってのは、そもそも、「現実で出来ないから」楽しむんだと思うんだよね。たとえばイケメンに囲まれて激しいセクロスなんて現実に出来ないじゃん。そもそもイケメンとか集められないだろとかいうこともあるけどw、それだけじゃなくてリアルで考えると後のこととか色々生々しい事考えるととても出来ない。でもフィクションだと全部クリアですよ。妊娠とかするもしないも自由自在だし、その中のイケメン一人とくっつくとかイケメン全員に囲まれて暮らすぜとか逆ハーレム作るぜとか、逆にこっぴどく振られる妄想して悲しい気持ちに浸るのも全然ありなわけよ。でもリアルで振られたいかっていうとそんなん絶対嫌なわけ。リアルの生活に響くかもしれないし、そのあとそんな辛い想いを引き摺って生きていかなきゃいけないという現実も待ち受けてるし、そんな「リアル」上ではそんな経験まっぴらごめんなわけ。んでもせつな的な刺激というか、そういったものを人間得たいという気持ちもある。んだから、安全で何度でもやり直し・巻きなおしのきく「フィクション」上でそれを楽しむわけ。得たい刺激だけピックアップして、嫌な「生々しいその後の現実」とか、そういう自分にとって不都合なものは全部シャットアウトして楽しめる。だからこそのフィクションなわけですわ。少なくとも私にとっては。
でも勿論嫌な人たちにとっては「そもそもフィクションでも嫌」なんだろうし、誰だってそういう面はあると思うが
でもフィクションで楽しんでるのは、逆に、現実じゃ無理(法律的にというより自分自身が嫌だという意味で)だからこそって人もいるんでないかと思うのだが。んまあ、私以外の人はどうだかしらんが(男性は特に、全然違う理由かもしれないけど)。
でも「どうして女性なのに…有り得ない…」みたいな、なんかキ○ガイでも見るかのような驚きはやめてくれい……それこそ微妙に傷つく……
いるいる、こういうキ○ガイ。
喩えていえば、カップヌードル作るのにお湯を沸かす時間を考えない奴。
困るんだよね、職場にこういうのがいると。
だから「オタは氏ね」なんだろ。
いや本当ね、前のサークラの件もこれと似た感じだったんじゃねーのと思うよ
オタはなんでも自分の都合のいいように解釈するから
極端な話「あなたのこと嫌い」って言葉すら「嫌いっていうのはどうでもいいよりは可能性がある!寧ろあとちょっとで好きになってくれる!」とか(さんまとかがよく言うからかな?知らんけど)勘違いするからな、オタって。知り合いにマジそういう奴いたよ。
もうそこまで来ると「女の子のかわし方がどうの」ってレベルの話じゃないんだよね。言葉通じない野獣相手なんだから。そもそも非モテオタばかりがいる所には近寄っちゃいけないわけ。スラム街にカタギが近寄っちゃいけないように。
オタが「全然女の子と知り合えない」とか「サークルにそんな子いない」とか言ったりしてるけどそれは当たり前なんだっつーのwお前らがそうしてるんだって。それを全然わかってない。お前らオタ自身が、そういうスラム街を作っちゃってるんだから、近寄ってくる女なんているわけねーだろ。別に今のご時勢ネットでいくらでもオタ話できるし、イケメンのオタも増えたしな。本当非モテ系オタは自分達のそういうキ○ガイじみたコミュニケーション感覚どうにかしないと、どんどん自分で自分の首絞めてくだけだぜ。そんなコミュ能力じゃ社会でもまともにやっていけそうもないし。まあそれで勝手に自殺するなら構やしないけど、自分のせいなのに開き直って他人や社会のせいにして犯罪起こすのだけは勘弁しろよな。
そういう反論の仕方時々見るけどさー、
「そうしないと周りからかなり不当な評価を受けるのがわかっている」状況ってもうそれ自由と言わないよ。せざるをえないじゃん。化粧したくない人は「不当な評価を受ける」もしくは「嫌々化粧をするしかない」っていう二択しかない状況のどこが自由なわけ?大多数の「化粧しないとダメだ」派の価値観で決められちゃってるじゃん。どこが自由?
結局「恋愛すべきだ」「オタクなんてダメだ」そういう人たちの声が大きいから、そういう人たちが多いからそういう人たちの価値観で全てが決められていく。その派跋に属せない人たちは、「いやいやその価値観に従う」か、「皆に不当な評価を受ける」の選択肢しかない。
てーか、なんでわざわざ自分と逆の人たちを貶めなきゃならんわけ、そもそも。
別に自分が化粧したいとか化粧する事は素晴らしいって思ってるなら自分が化粧をしてそれで終わりでいいわけで、わざわざ「していない=自分の価値感に合わない人たち」を貶す、ってどういうわけ?それが自由でしょってさ。どれだけ子供な行為なんだ?ほとんどいじめみたいなもんじゃん。「俺たち私達の価値観に合わないあんたたちは、いじめられて当然」っていう意識じゃん。なんでそんな事を堂々と主張できるのかわからない。それがまだ一部のコミュニティならキ○ガイじみたその場から逃げれば済むことだけど、恋愛とか化粧とかそう言う事はやけに大きすぎる派跋になっていて、本人達は「ワタシタチの価値観似合わない奴らはいじめぬく。そうしたってかまわない。自由」とかおもっちゃって実行してることをもう悪いことともなんとも思っちゃいないことが問題だよ。あまりに大きくなってるから気づかない。大人なんだから「あいつはあいつだ」って「個」を大事に出来んわけ?「私は化粧が大事だと思ってるけど、あの人はそうじゃないんだな」それで終わりな事じゃん。なんでわざわざそこから「あいつは社会人としてどうこう」「化粧もしないなんて」とかいう罵倒にもっていくわけ?それは単なる悪口じゃん。自分が好きじゃないから罵倒する、単なる悪口じゃん。「私はドラえもんが好きなのにあいつはすきじゃない。あいつは社会人としてなっていないし性格も最悪」とか言ってるのと同レベル。
法で決まってないから俺たち私たちの価値観にあわないものをいくら罵倒したっていじめたってそれで関係ない事にまで不当な評価つけたって構いやしない、ってどんだけだよ。そんな恥ずかしい子供じみた事よく堂々と主張できるもんだ。
数が多けりゃ十分じゃん。
だから元の増田エントリで「市場によって肯定されているものをさらに言論によっても肯定しようとする、その動機とはなんぞや」って先に書いてるのよ。
作品が売れていて、儲けが出ていてるんだから、市場の流れとして「エンタメ」の新作が作られなくなることはないし、制作費も必要十分に割かれる。新しい作り手もきちんと登場するでしょう。そこに言論の必要なんかないのに、なんでいちいち「エンタメ」を言論で肯定せにゃならんの。
ええっ!?意味がわからん。もしかして、「楽しければいい人用の作品」と「知的鑑賞したい人たち用の作品」とあること前提に話が進んでいるのか。それなら、よくわからないな。俺は、有る作品があって、それを見る立場の価値観の話だと思ってたんだけど。だからこれ以下は全部意味不明。俺は、「エンタメ用」「知的鑑賞用」って作品が分かれているとは考えて無いから、市場云々も全く同意できない。受け取る立場の問題だと思うんだがな…
あと、必要がないとかそういう問題なのかね。さっきも書いたけど、単に「鑑賞の方が消費よりエラいじゃん」という意見が出たら、そう思ってない人は「違うよ。それは違うよ」って言いたくなる、それだけの話なんじゃないの?動機って、それだけで十分でしょ。さっきもその辺は書いたのに、そこだけ無視されてるのは何故だかわからんけど。必要じゃない、ってのは、結局、君の立場で言ってるだけじゃないのかね。「俺的には必要ないしぃ」ってだけじゃないか?
これもくりかえし。知的鑑賞派は黙ってりゃ市場が縮小していくばかりなので、折を見て宣伝・広報をする必要があんの。
うーん、余計なお世話だが、とてもさっきから出てるのが「宣伝・広報」を目的とした言い分には思えないw知的鑑賞系の物の市場を拡大したいなら、そうでない人たちにケンカふっかける物言いじゃ逆効果じゃない?拡大したい、というなら、もっと戦略練った方が言いと思う。今の状態は、単に「お前ら分かってないんだ、バーカバーカ」レベルで終わっている(少なくともそういった印象でしか伝わっていないと思う)。
絶対この反論は出ると思ってた。「時と場合による」と思ってるから「大前提」と書いたんだけどね。書き方が悪かったね。申し訳ない。頭に「原則」と補足してもいいや。
「時と場合による」事が分かっているなら、何故そんな無意味な事書いたのか、わからない。
しかしまあ、「能動的な態度はエラい」っつーのは撤回しないけど。「頼んでもいないのに押しかけてくるのも能動的だからオッケーかい?」っていうケースは、原則として「能動的なのがオッケー」とされているから、押しかけてくるやつに自分が迷惑していることを伝えるのが大変なんでしょ、と。能動的な態度がリスペクトされない社会だったら、押しかけるも何も能動的に動いた瞬間にそいつキ○ガイ扱いじゃん。
押しかけてくる奴に自分が迷惑してることを伝えるのが大変なのは、そういう押しかけてくる奴というのは聞く耳を持たないタイプが多いだけで、能動的なのがオッケーと無条件に認識されているからではないぞ。伝えようとする事は別に大変じゃない。相手がそれを受け取ろうとしないだけで。能動的に動いた瞬間に??以下がいまいち意味がわからないが、別に「リスペクトか、キ○ガイか」のどちらかではないんだから、「単なる訪問」から「押しかけ」になった瞬間にその人はキ○ガイとなるだけであって、それまでは別にリスペクトもされなければキ○ガイ扱いもされない、全く何もない状態なだけじゃないか?何故能動的な態度がリスペクトされないなら、能動的に動いた瞬間にキ○ガイ、とそんな極端な結論になるんだよw
そう本当に思うんなら慎み深く黙っといたほうがいいんじゃないかな。本当はこんな風に思ってないくせに。「エラかろうがエラくなかろうがどうだっていい」と思っている俺ってクールだぜ、と高みに自分を置いた気になって正面から意見表明すんの避けて傷つくのを避けてんだよ。そのくせ自己顕示欲はあんの。自分の欲望は素直に認めて対処したほうがいいと思うけど。
勝手に「お前はこう思ってるに違いない」って邪推して、そこからブツクサ言われてもなあ…そんなこと思いもしなかったよ。そんな事を思いつくって事は、そういう意識が君にあるって事かな?なんて意地悪をつい言いたくなってしまうべw
どうも、最初から君は、「本当にそう思ってるなら黙っているはずだ」っていう意識があるみたいだけど(必要ないのにどうして肯定するんだとかも似てるけど)、それからして既に分からない。どうして本当にそう思ってるなら黙ったほうがいいの?黙ってたら、何も伝えられないじゃないか?考えを口に出せば「口に出したんだから違うんだ」。出さなければ、そもそも分からない。なんつうか都合のいい言い分なんだよなあ。最初からさ。自分は言うけど、相手が言ったら「言う必要ないのにわざわざ言うってことは……」「本当にそうなら言わなきゃいいのに言うってことは……」ってケチをつける。そりゃないでしょーよ。とりあえず、いちいちケンカ売るように絡んでくるのはやめて欲しいよ。そんなことしなくても、べつに語れるだろ?子供じゃないんだから。
そもそも、エンタメ至上主義って完全に肯定されてる訳じゃないと思うが。だからこそ、こういう議論が起こるんだと。エンタメ至上主義者の「数」は多いと思いのは確かだと思うが、でも世間には何となく「批評家の方が偉い」という空気も同時に存在している。だから「エンタメ至上主義だし、批評的な見方なんてべつにエラくねーよ」的な意見が出てくる。「楽しければいいよ」もしくは「批評できる人ってエラい」という意見は今の日本で何となく肯定されているけど、「楽しければいいし、それが批評的な見方より劣ってるとも思わない」という意見はまだマイナーめ。動機はそこである気がする。
数が多けりゃ十分じゃん。
だから元の増田エントリで「市場によって肯定されているものをさらに言論によっても肯定しようとする、その動機とはなんぞや」って先に書いてるのよ。
作品が売れていて、儲けが出ていてるんだから、市場の流れとして「エンタメ」の新作が作られなくなることはないし、制作費も必要十分に割かれる。新しい作り手もきちんと登場するでしょう。そこに言論の必要なんかないのに、なんでいちいち「エンタメ」を言論で肯定せにゃならんの。だから、
気持ちは分かるけども、でもそういう事を言いだすと、初めのエントリも何とでもいえてしまう。
これは「何とでもいえ」ません。市場で負けているサイドがそこに別の評価軸を持ち込もうとすることには必然性があるけれど、市場において評価されている作品をさらに評価する軸をことさらに設ける必要なんてないでしょ。
それと同じく、本当にそうだと思う人は、黙って自分だけ知的鑑賞をしていればいいんだよな。それなのに、わざわざ攻撃的な物言いで書き込むってのは、本当は自分の中で揺らいでいるから、それを他人に「そうなんだよ」って認めてもらって安心したいだけなんじゃないの?
これもくりかえし。知的鑑賞派は黙ってりゃ市場が縮小していくばかりなので、折を見て宣伝・広報をする必要があんの。一方、感情的消費は放置しておいてもどんどん広まっていくの(前提がいらない表現だからね)。自意識問題じゃなくて市場の問題なの。
だから「知的鑑賞の方がエラいに決まってるんだぜ!」と言ってる奴も、もしかしたら「消費側」なのかもしれないんだよなー。そうであっても、同じような意見、言えるんかな。それこそ、「自分が知的鑑賞サイドに属してるから、強い事が言える」という、勝ち馬に乗っかっちゃってるだけなんじゃないのか、と。たまたま自分が鑑賞サイドにいると「思える」事を強みに、言っちゃってるだけなんちゃうんか、と。まあ、そこはどうだっていいんだが。
自分が「鑑賞」サイドにいると思っている人間が間違っていたとして、それは指摘されたら直せばいいだけの話じゃん。そんだけのことよ。間違いだと思ったら謙虚に受け入れる姿勢があれば、間違えることなんか何も恐れることではない。間違ってたからといって人が死ぬわけじゃなし(かといって無責任に放言しては知的誠実さに欠けるけど)。
感情的消費は本当に完全に受動的なのか、ってのも疑問だし、
理解するための特別な努力もなく理解できるのが「感情的消費」だそうなので、それは「受動的」じゃないかしらね。
先のレスと重複。
大体、「頑張ってる奴の方が頑張ってない奴よりエラい」→それは場合と時による。大体の場合当てはまる、というだけに過ぎないし「能動的な態度はエラい」にいたっては初耳だ。
絶対この反論は出ると思ってた。「時と場合による」と思ってるから「大前提」と書いたんだけどね。書き方が悪かったね。申し訳ない。頭に「原則」と補足してもいいや。
しかしまあ、「能動的な態度はエラい」っつーのは撤回しないけど。「頼んでもいないのに押しかけてくるのも能動的だからオッケーかい?」っていうケースは、原則として「能動的なのがオッケー」とされているから、押しかけてくるやつに自分が迷惑していることを伝えるのが大変なんでしょ、と。能動的な態度がリスペクトされない社会だったら、押しかけるも何も能動的に動いた瞬間にそいつキ○ガイ扱いじゃん。
個人的には、エラかろうがエラくなかろうがどうだっていいし、そもそも自分の見方がどっちサイドかすらよくわかんね。皆すげえなと思うばかりさ。
そう本当に思うんなら慎み深く黙っといたほうがいいんじゃないかな。本当はこんな風に思ってないくせに。「エラかろうがエラくなかろうがどうだっていい」と思っている俺ってクールだぜ、と高みに自分を置いた気になって正面から意見表明すんの避けて傷つくのを避けてんだよ。そのくせ自己顕示欲はあんの。自分の欲望は素直に認めて対処したほうがいいと思うけど。