はてなキーワード: 衆人環視とは
これは規制をしろという主張ではありません。ゾーニングや自主規制等のなんらかの社会的な対応を求める主張でもありません。
元増田の人じゃないんだけど、自分は、街中でその手のイラストが表紙になってる本とかを見ると、なんていうのか、本当に街中の衆人環視の中でスカートめくってる女の子を見ているみたいな、一種の羞恥プレイを見せられているような気分になる。二次・三次関係ない。記号に反応してるので、二次の方がきつく感じる傾向がある。実際、三次ではそこまでどぎつい表現みないし。こういう風に、人の感覚は様々じゃないかな。いい年した大人でいろいろ経験してるけど、感覚はこんなもん。
でもこういうのはま、言われる方にしたら言いがかりにしか聞こえないだろうと思うんで、普段(なにもないとき)は言わない。ただ最近みたいに、そう感じること自体が無い無いあってはいけないと合唱されると「無いわけではない、我慢してるだけだ」と言ってみたくなる。でもそれ言ってどうしたいかと言うと、言いたいだけっていうか、知ってもらえば充分というか、たとえば他の話だとめっちゃ我侭あるいは極端な意見でも笑い流されたりしてるわけで、それと同じ程度に扱ってもらえれば満足。二次エロ楽しんでるって意見と同じ重さで、ああそれで傷つく人もいるんだなーと思ってもらえば充分。
性に関する不快感とか性被害の話とかは、その他の話みたいに扱ってもらえず、なんかこれだけタブーになってる。言う方が悪い、感じる方が悪い、不快な話を聞かせるな。だから女友達にも言わない。経験上、女性の方が「不快な話を聞かせるな」系の反応が返ってくる率高いし。別に他の人を押しのけて自分達の感覚を尊重しろって言いたいわけじゃなくて、他の人と同じ重さの発言権が欲しいだけなんだけど、なかなか「ああそういう人もいるのね」にはならない。言い方が悪いのかな。定番の男女論みたいに「改善策を求めているわけじゃない、ただ話を聞いて欲しいだけだ」って前置きすればいいのかな。
こんなことをもやもや思いました。
大手コンビニ・ファミリーマートオリジナルの菓子類に、「ぼくのおやつ」というシリーズがある。
率直に申しあげて大手の定番人気商品を潔さを感じる程モロパクリしたような品も多数あるのだが、
それを補って余りあるのがそれらがALL100円という、良心に苦しみながらもキャベツ泥棒を繰り返す
大多数の庶民を刺激する価格設定である。
なかでも私がとりわけ欲情するようになったのは、何を隠そう「無着色カリカリ梅(通称ウメ)」であった。
他の店の梅娘たちが客を取ろうと一心不乱に天然色素もしくは化学合成色素の赤色の化粧を施すなか、
ウメは青っ白い顔のまま口を開き宙を見ていた。かあいそうに頭が弱いのだ、と訳知り顔で囁く者もいたようだ。
いまさら何を恥じることがあろう。私は一目見た時からあの娘を奪いたかった。
紳士的な態度で舶来の菓子でも与えれば、白痴がかった娘をアパルトマンに誘い入れるなど容易いことだろう。
事実、その通りであった。
彼女の無防備な、しかし扇情的なセロファンの個包装を引き裂き、私は未成熟さを残した青い果実に歯を立て、
ゆっくりと舌で弄び、彼女が文字通り抜け殻になってもなお執拗にしゃぶり尽くし責め苛んだ。
私は朝な夕なファミリーマートに通ってはウメを半ば強引に連れ出し、白昼の公園、路上、オフィース,
食卓、衆人環視のなか所構わず彼女の果肉を貪った。ウメはいつも為されるがままであった。
しかし、私とウメの半ば一方的な蜜月関係は突如終わりを告げる。
ウメがファミリーマートから忽然と姿を消したのだ。店の者に問い質しても首を傾げるばかりで要領を得ない。
私は心当たりのある店をしらみつぶしに尋ねてまわった。
赤紙が来て紫蘇樽に連行されたのだという者。突如ラテン語を話しイェルサレムに向かったと言う者。
ウメの身を案じていたのではない。あの娘の不在のために刻々と溜まっていく己の欲望を充足させたかったのだ。
この男、今まで何度も強姦を繰り返しているのに、いったいどういう刑に問われてきたんだろうか?記事にそれが何も書いてないところが怖い。
居合わせたら、相手の暴力性の程度にもよって、どうしても太刀打ちできないこともあるけど、出来る限り助けたい。だって単にからんでるとかいうレベルの問題じゃないから。重いものを投げつけてこっちもすぐ逃げて、加害者がひるんでる間に被害者にも逃げてもらうとか。
付き合ってる人間同士のもめ事かもしれないから助けるのを躊躇した、という意見があった。
これは、もしそうだったらあとで間が悪いから、という意味だとすれば、間が悪い程度のことより強姦を見過ごすことのほうが遥かに問題だから、迷わず介入すべきだ。ただし、「付き合っている」ということを盾に、助けようとしたものに加害者から脅迫が加えられ、それがその後もしつこく続いたりする危険性もあり、そういったことを恐れてしまうのかもしれない。
こういうことは全く被害者の責任ではないのだが、もはや自衛するしか策は無いのか。
(1)人気(ひとけ)の無い車両には乗らない。
(2)どんなに脅されていても勇気を出して声を上げる(日本の場合多分、強姦されるのを拒んだら殺されるから抵抗しない方がまし、という状態にまではまだ達していないだろうから)。
しかし考えてみると、そもそも付き合っている男が女に暴力を振るうということが、どこかしら我々の社会で「確率的にそれなりにあり得ること」だという認識、あるいは、「付き合っている男女間の暴力行為は当人同士の問題で、関わるべきではない」という認識が、この事件の背景にあるのかもしれないと思う。だから「もしかしてこの二人は本当につきあってるんじゃないか、だったら介入は出来ない」という考えが周囲の人間に生まれ、それが「介入しない言い訳」として利用されてしまったんじゃないか。だとすれば、そのこと自体深刻な問題だ。そういったことはあってはならないことで、たとえ付き合っている人間同士のことであっても、外部から介入する理由に十分なりうる、という「常識」を社会につくっていくことも必要なのかもしれない。
それにしても、これは単に難癖を付けているとかいうレベルの話ではない。強姦だ。こんなことが衆人環視の駅や列車内で同一人物により何度も行われていたとは。
「マナー違反だし落ち着かないし、粉が飛び散ったりして他人に迷惑を掛けるからしてはいけない」のだと長年思っていた。
が、「女性が見ず知らずの男性に化粧をしている姿を見られる事そのものが恥ずかしい事だから、してはいけない」のだと言う説を最近聞いた。
そんな事を発想すらしたことがなかったので目から鱗。
どっちが正しいんでしょうか。
でも「見ず知らずの男性に化粧をしている姿を見られるのが恥ずかしい」のが正しいとして、
それなら大勢の人が居るデパート一階化粧品売り場で店員に化粧して貰うのも恥ずかしい筈だよなあ。
プロメイクアップアーティストのメイク実演時のモデル=恥を売る職業と言う事になるよなあ。
そんな事言ってる人も、「あんな衆人環視の場所で他人に化粧をさせて平気な最近の女はなっとらん!」と言う人も見た事無いけど。
分からん。