はてなキーワード: 衆人環視とは
エロ本を電車の中で衆人環視下で恥ずかしげもなく読んだり、恋人の前でAV見ながら自慰にふけることを何の羞恥心も感じずにできるなら、ごもっともとしか言いようがないな。
だから美意識だよね。
元のひとと同じ主張だ。
「欧米の、ムンバイの、その他さまざま場所の本当のスラムから比べたらマシ」……子どもが死んでいるのに?マシなの?なにが?死ねばいいのにwww
「もう少し地域を絞り込んで欲しい」「町レベルで議論すべき」……何の議論をしたいんだ?www
「ところで、我々はスラムから何を搾取しているんだろうか。」……君が遊んでいる時間がどこから来たと思っているんだい?www
「就職先が決まらなくて泣いてる人間より、よほど幸せ。」……自分が不幸だって言いたいんだろwwwいい大人がころされた子どもよりかわいそうだってwwwwwあんまり嗤わせんなよ
「はあ? よく行くけどべつにスラムでもなんでもないだろ。部外者が大手振って歩けるスラムなんて聞いたことねえよ。」……先生、ではいったい、子どもが殺されるまで折檻されるのが通常化し、「殺された子」の家庭の方が普通に見えてしまう地域をなんて呼ぶんですかね?教えてくださいよ。ベテラン。その呼び方の方がふさわしければそう呼びますよ。問題は、地域が子殺しの背景にあるってことではないですか?「スラムでもなんでもない」地域で、子どもが衆人環視の元で(学校も行政も近所も知っていたんだからね)殺されるのは普通の事態なんですかね?殺した側が普通に見えるってのをどう説明するんですか、ベテラン?なんでもないわけないじゃないですか、ベテラン。
答えを言ってしまうと、先生は搾取する側で、「観光客」として通過しているだけだから理解できないだけですよ。先生は観光客として搾取し、郊外についての売文で搾取し、ベテラン気取りでブクマで搾取するんですね。
いよいよ明日から起案4連発です。それに加えて模擬裁判の記録も検討しなければなりません。泣きそうです。
さて、昨日に引き続き、事実認定の話をしたいと思います。
眠いので資料も見ずに殴り書き。
証拠には、大きく分けて、書証と人証の二つがあります。
書証というのは平たく言えば、書類のことです。契約書、とか、領収証とか。
ですが、現実は甘くありません。書類だけで、事実関係が全て分かるなんてまれなことです。
そういったときに、書証を補充してくれるのが、人証です。
人証というのは、つまるところ、誰かの証言・供述のことです。要するに、証言台に立つ証人の発言ひとつひとつです。
これまた非常に重要なのですが、書証と違って、人証は非常にやっかいな特徴を持ちます。
それは、証拠として固まっておらず、変動しやすいと言うことです。
たとえば、証言台に立つ証人の気持ちを考えてご覧なさい。
しっかりと準備をして臨んだとしても、慣れない法廷で、衆人環視の中、相手方当事者から詰問され、裁判官からも矛盾をつっこまれ、
そんな状況の中で、きちんと思った通りの答えを言えるとは思えません。
それに、外部から見ても、大嘘をつく証人だっています。
では、そのように儚い人証は、どのように信用できるかを判断すればよいのでしょうか。
これについては、具体的な裁判例の蓄積により、何を考慮要素とすべきかについて、ある程度の類型化に成功しています。
1.利害関係
証人の場合、どちらかの当事者に利害関係があると、そちらの当事者に有利なように発言をねじ曲げがちです。
たとえば、親子関係にあったら、普通はかばい合って、互いに有利なことを言うはずです。
そうでなくても、金銭関係や主従関係があっても同様です。
2.他の証拠との符合
真実を述べているのなら、他の動かしがたい証拠と符合する証言になるはずだ、という経験則によるものです。
実務では、非常にこれが重視されます。
3.供述の経過
供述自体の内容の移り変わり、ということです。
具体的には、発言の内容がコロコロ変わっていたりすると非常にうさんくさい。
供述の変遷といって、これもよく検討事項としてあがっています。
4.供述態度
おどおど、言葉を選びながら話している人を見ると、嘘をついているように見えます。
自信を持ってはきはきとしゃべる人は、真実を述べているように見えます。
もっとも、慎重な人は真実を述べていても前者のようになりますし、一流のペテン師は、顔色一つ変えずに嘘をつくでしょう。
なので、これはあんまりあてには出来ないとされることが多いです。
5.核心部分かどうか
証人が嘘をつく場合、まさに争いなっている部分、核心部分で嘘をつくはずです。
どうでもいい事項について嘘をついても得をしないからです。
したがって、核心部分で、上記1~4の判断要素が満たされるなら信用性は普通以上に増すことになります。
というわけで、供述の信用性についてはこのような判断をしていくのですが、さらに人証の特色を考える必要があります。
なにかというと、100%嘘をつく人も、100%真実だけを述べる人もいないということです。
あっさりと、「あいつは嘘しかつかない」と決めつけてしまうのは思考停止に他なりません。
こういう判断ってのは、ネット上で「あ、こいつ嘘ついてるw」というような場合にも応用できるかも知れませんね。
http://anond.hatelabo.jp/20090927094429
お腹の中にいる間のほうが、本人が動くのは楽だけれど。衆人環視の中2時間も座りっぱなしってのを妊婦にやれって? 妊婦は自分で選ぶんだから、まだいいけど、お腹の子供が楽だとでも?
もちろん、元増田の状況次第で、今式をしたほうがいいこともあるだろう(そう書いてあるよね?)。その場合は、すぐにも式を挙げればいい。
でもねえ、赤ん坊ってのは親だけで育てるものじゃないよ? 回りの応援も上手に頼めるようにならないとしんどいよ。ベビーシッターだって雇えるし、面倒みようっていう友人だっているかも知れない。なんでもかんでも自分で抱え込んでると育児ノイローゼになる可能性が高くなるから気をつけて。
これは規制をしろという主張ではありません。ゾーニングや自主規制等のなんらかの社会的な対応を求める主張でもありません。
元増田の人じゃないんだけど、自分は、街中でその手のイラストが表紙になってる本とかを見ると、なんていうのか、本当に街中の衆人環視の中でスカートめくってる女の子を見ているみたいな、一種の羞恥プレイを見せられているような気分になる。二次・三次関係ない。記号に反応してるので、二次の方がきつく感じる傾向がある。実際、三次ではそこまでどぎつい表現みないし。こういう風に、人の感覚は様々じゃないかな。いい年した大人でいろいろ経験してるけど、感覚はこんなもん。
でもこういうのはま、言われる方にしたら言いがかりにしか聞こえないだろうと思うんで、普段(なにもないとき)は言わない。ただ最近みたいに、そう感じること自体が無い無いあってはいけないと合唱されると「無いわけではない、我慢してるだけだ」と言ってみたくなる。でもそれ言ってどうしたいかと言うと、言いたいだけっていうか、知ってもらえば充分というか、たとえば他の話だとめっちゃ我侭あるいは極端な意見でも笑い流されたりしてるわけで、それと同じ程度に扱ってもらえれば満足。二次エロ楽しんでるって意見と同じ重さで、ああそれで傷つく人もいるんだなーと思ってもらえば充分。
性に関する不快感とか性被害の話とかは、その他の話みたいに扱ってもらえず、なんかこれだけタブーになってる。言う方が悪い、感じる方が悪い、不快な話を聞かせるな。だから女友達にも言わない。経験上、女性の方が「不快な話を聞かせるな」系の反応が返ってくる率高いし。別に他の人を押しのけて自分達の感覚を尊重しろって言いたいわけじゃなくて、他の人と同じ重さの発言権が欲しいだけなんだけど、なかなか「ああそういう人もいるのね」にはならない。言い方が悪いのかな。定番の男女論みたいに「改善策を求めているわけじゃない、ただ話を聞いて欲しいだけだ」って前置きすればいいのかな。
こんなことをもやもや思いました。
大手コンビニ・ファミリーマートオリジナルの菓子類に、「ぼくのおやつ」というシリーズがある。
率直に申しあげて大手の定番人気商品を潔さを感じる程モロパクリしたような品も多数あるのだが、
それを補って余りあるのがそれらがALL100円という、良心に苦しみながらもキャベツ泥棒を繰り返す
大多数の庶民を刺激する価格設定である。
なかでも私がとりわけ欲情するようになったのは、何を隠そう「無着色カリカリ梅(通称ウメ)」であった。
他の店の梅娘たちが客を取ろうと一心不乱に天然色素もしくは化学合成色素の赤色の化粧を施すなか、
ウメは青っ白い顔のまま口を開き宙を見ていた。かあいそうに頭が弱いのだ、と訳知り顔で囁く者もいたようだ。
いまさら何を恥じることがあろう。私は一目見た時からあの娘を奪いたかった。
紳士的な態度で舶来の菓子でも与えれば、白痴がかった娘をアパルトマンに誘い入れるなど容易いことだろう。
事実、その通りであった。
彼女の無防備な、しかし扇情的なセロファンの個包装を引き裂き、私は未成熟さを残した青い果実に歯を立て、
ゆっくりと舌で弄び、彼女が文字通り抜け殻になってもなお執拗にしゃぶり尽くし責め苛んだ。
私は朝な夕なファミリーマートに通ってはウメを半ば強引に連れ出し、白昼の公園、路上、オフィース,
食卓、衆人環視のなか所構わず彼女の果肉を貪った。ウメはいつも為されるがままであった。
しかし、私とウメの半ば一方的な蜜月関係は突如終わりを告げる。
ウメがファミリーマートから忽然と姿を消したのだ。店の者に問い質しても首を傾げるばかりで要領を得ない。
私は心当たりのある店をしらみつぶしに尋ねてまわった。
赤紙が来て紫蘇樽に連行されたのだという者。突如ラテン語を話しイェルサレムに向かったと言う者。
ウメの身を案じていたのではない。あの娘の不在のために刻々と溜まっていく己の欲望を充足させたかったのだ。
この男、今まで何度も強姦を繰り返しているのに、いったいどういう刑に問われてきたんだろうか?記事にそれが何も書いてないところが怖い。
居合わせたら、相手の暴力性の程度にもよって、どうしても太刀打ちできないこともあるけど、出来る限り助けたい。だって単にからんでるとかいうレベルの問題じゃないから。重いものを投げつけてこっちもすぐ逃げて、加害者がひるんでる間に被害者にも逃げてもらうとか。
付き合ってる人間同士のもめ事かもしれないから助けるのを躊躇した、という意見があった。
これは、もしそうだったらあとで間が悪いから、という意味だとすれば、間が悪い程度のことより強姦を見過ごすことのほうが遥かに問題だから、迷わず介入すべきだ。ただし、「付き合っている」ということを盾に、助けようとしたものに加害者から脅迫が加えられ、それがその後もしつこく続いたりする危険性もあり、そういったことを恐れてしまうのかもしれない。
こういうことは全く被害者の責任ではないのだが、もはや自衛するしか策は無いのか。
(1)人気(ひとけ)の無い車両には乗らない。
(2)どんなに脅されていても勇気を出して声を上げる(日本の場合多分、強姦されるのを拒んだら殺されるから抵抗しない方がまし、という状態にまではまだ達していないだろうから)。
しかし考えてみると、そもそも付き合っている男が女に暴力を振るうということが、どこかしら我々の社会で「確率的にそれなりにあり得ること」だという認識、あるいは、「付き合っている男女間の暴力行為は当人同士の問題で、関わるべきではない」という認識が、この事件の背景にあるのかもしれないと思う。だから「もしかしてこの二人は本当につきあってるんじゃないか、だったら介入は出来ない」という考えが周囲の人間に生まれ、それが「介入しない言い訳」として利用されてしまったんじゃないか。だとすれば、そのこと自体深刻な問題だ。そういったことはあってはならないことで、たとえ付き合っている人間同士のことであっても、外部から介入する理由に十分なりうる、という「常識」を社会につくっていくことも必要なのかもしれない。
それにしても、これは単に難癖を付けているとかいうレベルの話ではない。強姦だ。こんなことが衆人環視の駅や列車内で同一人物により何度も行われていたとは。
「マナー違反だし落ち着かないし、粉が飛び散ったりして他人に迷惑を掛けるからしてはいけない」のだと長年思っていた。
が、「女性が見ず知らずの男性に化粧をしている姿を見られる事そのものが恥ずかしい事だから、してはいけない」のだと言う説を最近聞いた。
そんな事を発想すらしたことがなかったので目から鱗。
どっちが正しいんでしょうか。
でも「見ず知らずの男性に化粧をしている姿を見られるのが恥ずかしい」のが正しいとして、
それなら大勢の人が居るデパート一階化粧品売り場で店員に化粧して貰うのも恥ずかしい筈だよなあ。
プロメイクアップアーティストのメイク実演時のモデル=恥を売る職業と言う事になるよなあ。
そんな事言ってる人も、「あんな衆人環視の場所で他人に化粧をさせて平気な最近の女はなっとらん!」と言う人も見た事無いけど。
分からん。