はてなキーワード: ハブとは
その中にどっぷり浸かっていると、
サイトの量も、投下される記事の量も
増えすぎてとても追い切れなくなる。
自分が読まなければならない情報量を大幅に増やしてしまう元凶だ。
結局、消化不良を起こすだけなのだ。
閲覧者が要求する度にページが送られてくるクライアント-サーバー型から、
しかしこのような、一方的に記事が送り届けられる(ように見える)環境では、
送られる記事の総量が手に負えなくなると、そりゃあもうウザくなる。
情報の淘汰はもう始まっている。
更新頻度が低く、情報の質がまばらなブログはそもそも登録されない。
情報量で勝負できるのは、ごく一部の『ハブ』となるサイトだけ。
人気を決定づけるパラメータは、情報の質の総和ではなく、期待値になる。
沈黙は金。余計な口は噤むが良い。
http://anond.hatelabo.jp/20070209131658
そして、婆ぁにしてみれば、昼間は学校に行く学生と違って、日中もずっと家にいる自分は、使いでがあるらしく、四六時中ベルを鳴らしては自分を呼び、用が済むと、別に、いくらいくらと決まっているわけではないが、若干の小遣いと腐った羊羹など菓子を呉れるのであるが、最初のうちは、ちょっとした用事で済んでいたのが、婆ぁは、だんだんに増長して調子を出し、この頃では、ひとつ用事が終わっても、それが済んだら庭の草刈り、それが済んだら買い物、と、一回のベルで、次々に用事を言いつけ、もう自分は、化物使いという落語や、ガルシア・マルケスのエレンディラという小説を連想するくらいに、うんざりして、婆ぁのところに行くのがすっかり嫌になってしまったのである。
小学校のクラスに二崎貢司って奴がいて、こいつは凄い頭良くて勉強できたくせにサドで苛めっ子で何考えてるか判んないところがあって、突然何も理由が見当たらないのに昨日まで一緒に遊んでいた男の子をハブったりして一人で楽しんでたようだったのだが、クラスの皆がこいつをどう扱っていいんだか判らないまま勉強できるし運動できるし口は達者だし何か怖いし何が理由で嫌われたり好かれたりするんだか判らないしということでとりあえず二崎君はクラスの中心に置いといてアンタッチャブルって感じだったんだけど、そんな二崎に対抗したのが隣のクラスの浦安正輝で、その浦安の友達で、浦安が二崎をボコったときに止めに入ったのが金田陽治だった。
この二人が面白い。
まあ、「文学賞メッタ斬り!」の受け売りなんだけどね。
私は何もアルファブロガーを賞賛したいわけではない。任意の記事に対する個人の評価は相対的であろう。ひとえに「アルファ」と言っても、あらゆる人間に対してアルファであるものと、少数の志を同じくする人間に対してアルファであるものとがあろう。その一方で、多くの人間に注目される記事を継続的に書くブロガーがいて、そういう人々を、ある人はアルファブロガーと呼ぶだけのことである。
これは、「私にとって」ということである。私と似たような嗜好を持っている人が複数いるとすれば、「私たちにとって」と言えるかもしれない。そして、ある種の「隙のある」記事の内容に関して言えば、多くのブログ閲覧者が妄念を感じるかもしれない。
「妄念」の判断基準として以下を考えている。
ある読者がある記事を読んだときに、
だから私は、RSSリーダーで(私が私にとっての)アルファブロガーと認めたブロガーの記事を購読している。さらに、セレンディピティ(思いがけないものを偶然に発見すること)を期待してはてなブックマークのトップページを利用するし、はてなブックマークの特定のタグから生成されるフィードをRSSリーダーに登録している。はてなブックマークはトップページ閲覧以外にも柔軟な活用が期待される。「はてなブックマークなど」と言っては、はてなブックマークがかわいそうである。
そのような信仰が流布しているのは、あなたの信念の世界においてだけではないのだろうか。ソーシャルブックマークを通じて、目立つブログ(もしくはブログの記事)と目立たないブログがある。ただし、それらの間にヒエラルキーがあるか否かは、私には判断できない。しかし、彼らが特定の情報流通におけるハブにはなっていると思う。