はてなキーワード: スタンガンとは
はてサの間では少年を擁護するのが流行っているらしい。「在特会に囲まれていたから正当防衛だった」「一対多数だったのだから武器使用も許される」「彼を攻撃へと駆り立てた日本社会に問題がある」etcetc。政治主張はどうであれ暴力は駄目だという常識的な意見は、はてサ村の中では反動的で差別的な前時代人の発想なのだそうだ。
俺が恐ろしいと感じるのは、このはてサの擁護の理屈には歯止めが内蔵されていないことだ。今回はスタンガンや催涙スプレーだったから深刻な被害は出なかった。だが武器がナイフや拳銃だったらどうか。在特会に死人が出ていたらどうか。はてサの理屈では、これもやはり弁護しなければならなくなるのではないか。ちゃんと線引きできるのか。
私も通りすがりに殴られたり、自転車乗ってたら(撥ねないギリギリの距離を保って)車で追い回されたりしたことある。
あと、国道を歩いてたら、路肩に車が留めてあったんだけど、
その車を追い越したら中からヤンキーみたいな男が三人降りてきてニヤニヤしながらあとずっとつけてきた。
走ったら直後捕まる、と勝手に思って、怖いけどずっと何事もなかったかのように歩き続けた。
幸い、そこは家のマンションのすぐ近くで、マンションの目の前にコンビニと交番があるからコンビニに入ってしばらくやり過ごしたけど。
(家に入ったら、家を覚えられそうなのでいやだった。交番は、提灯としては役立ってるけどそこにいるおまわりさんは別件が理由で正直あまり信用していない)
そのとき、就活中でリクスー着てたんだけど、そのこと思い出すから気持ち悪くなってスーツ新調した。
増田さんの体験は、(なんか失礼な言い方の気がしてしまうんだけどすいません)壮絶だと思うけど、
↑くらいの体験とか、あとをつけられてまいたりどっかでやり過ごした体験とかは、女性は(とか言うとなんかまた脱線した議論を呼びそうで嫌なんだけど)多かれ少なかれあると思う。
それが「あー怖かった」で終わるのと、増田さんのような本当に「死を意識する」体験になるのと、
本当に死んでしまうのと、本当にほんの少しの違いでしかないと思う(たとえば、偶然とかの無きに等しい違い)。
私も今でもスタンガンを購入しようかな、と思いながらサイトを眺める。購入まで踏み切ってないけど(取り上げられたらアウチだし、逆に持ってることで警戒が甘くなりそうなので)
男の人といると、たまに「この人本気になったら私ボコボコにできるんだよなあ」と思ってしまうことがある。
それと同時に、そういう理不尽な暴力に対して、ものすごい憎しみの感情を持ってしまう自分がいる。
私は、「いつか殺される」というより、「いつか殺されるか、過剰防衛で殺すのではないか、キ○ガイになるのではないか」という感じ。
私の場合、部屋に隠し持ってる膨大な量の恥ずかしすぎるヲタグッズが
「うっかり死んで家族にこんなもの見つかるわけにいかねえ!」という思いと
スタンガン、調べてみたけど講習会とかやってなさそうです。あとhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa4160348.htmlここを見つけて読んだけど、とっさの自衛にはちょっと怖い。
ボイスレコーダはやっぱりよく解らない。防犯カメラなら誰かが監視してると判るし、テープが残るけど、ボイスレコーダは持っている事に気付かれたら奪われたりしないの・・。
ニュースを見ていた。犯人がいかにイカレた人間で、イカレたNET上でおかしな事を発言し、アニメやネットオタクは危ないだの、ナイフを規制しろだのと言っている。犯人の生い立ちや最近の言動なども紹介され、キチガイ青年だと言わんばかりに不安を煽る。
一通りのニュースを見て、一緒に見ていたお袋とカミさんがどちらともなく言った。「なんか別に、フツーの人っぽいね」「とんでもない人物のように言われているけど、殺したりした事を除けば、他はそこらへんにいる人と同じじゃない?」びっくりした。
実は、自分も同じように考えていた。自分はあの犯人とは今でこそ違うが、犯人と同じ年齢の頃は、考え方や言動などはほとんど同じだ(自分は今34歳)しかし、その思いをクチに出す事はしなかったが、自分を見てきたお袋やカミさんは同じ臭いを嗅ぎ取ったのかもしれない。
ワープア状態だったのも同じ、趣味嗜好もきっと同じ、派遣で全国転々としてたのも同じ、会社を恨み、社会を恨み、モテなくて悩み、ささいな事でキレたり、つまらない事でトラブルを起こしまくっていた。契約の更新時や終了間際の時には特に酷かった。ぎりぎりで警察沙汰にならない程度の酷い人間だった。
でも、自分と犯人と違うところは、親を恨んでいない、親友と呼べるやつが数人いる、こんな俺を哀れんで母性本能がちょっと勘違いしちゃった彼女がいたこと。もちろん、殺人などしないが、今はたまたまそうなっていないというだけで今後は解らない。きっとしないけど。
ナイフだって持ってた。スタンガンも持ってた。使うような事は無かったけど、たまに眺めたり、パチパチ動かしてニヤニヤしていた。ナイフは両刃のやつで、人を殺す用途のナイフだ。会社の人間を殺す空想もしたりしてた。確実に殺すためにはどこを刺せばいいかとか考えたりした。
爆弾の作り方とかもネットで調べてチェックしていた。材料1つ1つをどこで買ってくればいいかなどもチェックした。いざとなれば俺はあの会社を爆破できるぜフハハハなどと、1人で口走った夜もある。生意気な女性事務員をどうにかしてやろうとも考えたりした。
今、書いていても恐ろしい。とんでもない事ばかり考えていた。しかし、実行に移す事なんて無かった。仕事は嫌い、会社の人間も嫌い、何もかもが嫌だったけど、犯罪には走らなかった。実行する動機なんていくらでもあった。何かきっかけがあったら突っ走っていたかもしれない。
何もかもが嫌な時期があったけど、旨い酒が飲める友人がいたり、しょうもない自分を受け入れてくれる彼女がいたり、たまに実家に帰っても、親として聞きたい事、言いたい事がたくさんあったと思うが、黙って見守ってくれたお袋がいたから、救われたのであろうか。
自分はあの殺人犯にかなり近い所まで行っていたはずだ。ほとんど変わらない人間だったはずだ。しかし、今はいろんなめぐり合わせ、運などによって、就職し、結婚し、もうすぐ子供も産まれる。昔からしたら、今の自分が想像できないくらい、幸せな事になっている。
どこの何が分かれ道だったのか解らないが、あるときから様々な事が好転していった。自分は何も変わっていないのに、自分の周りが世話を焼いてくれた。いつのまにかナイフもスタンガンもどこかに行ってしまった。爆弾製造法ブクマもどこかに消えた。
まわりが変わっていったら、自分もそれに合わせて変わって行った。自然と。良い事が良い事を産んで、巻き込んで大きくなっていった。でも、自分で良くしようと思ったわけじゃない、周りが俺の為になんとかしようとしてくれたという訳でもない、なんとなくそうなっただけ。
なんとなく、そして運、そういう流れ、成り行きで、たまたま良い流れが出来て、なんとなくその流れに乗れた。なんとなく。そんな感じなので、努力したり、頑張って今の状況になった訳じゃない。だから、あの殺人犯のように追い詰められてしまう状況になる可能性も十分にあったはずだ。紙一重。
あの殺人犯には厳罰を与えるべきだ。極刑だ。どんな事情や環境があったにせよ、許されない行為を行った。
もう1つ考える事がある。俺だけじゃなくて、あの殺人犯と自分自身を比べて見る事だ。いったい彼と何が違う、どれだけ違うだろうか。仮に全く同じだったとしても、ほとんどの人は凶行には走らないだろう。同じ状況だったとしても、たんに次の職場を探すだけだろうし、よくないケースにしても自殺などで他人様に迷惑をかけたりはしないだろう。
自分ではそんなことはしないと思えるだろうが、もしかしたら、あの殺人犯と同じような行動を起こす奴が何人か出てくるかもしれないと想像はできる。そう、あの事件のようなものはいつかまた別の形でいつか起こりえるのだ。どっかの誰かがやってしまうのだ。
あの殺人犯を甘えだの自己責任だのと批判するのは簡単だ。派遣がどうだとか、ナイフがどうの、ネットがどうのってのも的外れに思える。今の自分自身と重ねて考えて見る事が重要なのではないか。それを考えた上で、批判より、対策を考えなければならないのではないか。甘えだの自己責任だのと叩いている人達の一部が危ない水域に片足突っ込んでいるように見えて仕方が無い。
昔の自分と同じように危険水域にいながら、なんとか踏みとどまっている人はたくさんいると思う。政治家や公務員が殺人こそ犯さないものの、犯罪やりまくってもお咎めなし、危険水域を踏み越えても余裕で楽勝という世の中でありながら、踏みとどまっている人はたくさんいる。かろうじて助かってる人がたくさんいる。あの殺人犯も、事件を起こすまではいいやつだったに違いない。みんな犯罪なんて犯したくないんだ。それでも踏み越えてしまう奴は出てくる。なんとかしてえが俺には何もできない。