はてなキーワード: ショーウィンドウとは
ショーウィンドウの中の服でなくて、
ジャスコに並ぶような服を目指せばいいんじゃないの?
飾られる服じゃなくて、誰かが着てくれる服。
今って、クリエイティブな仕事に就こう!という風潮が強くて、誰でも学校とかに行けば「そうなれる」かのような幻想が満ちあふれている。恥ずかしながら、自分もそうだった。だから、以下に述べるようなことは自己責任の産物でもある。
押井守さんの『凡人として生きるということ』という新書で、「まず最初は自分には何の可能性もない人間なのだと実感すること」というような記述があったけど、この文には現実認識という意味でも、人生における処世術、という面でも、賛成する。
別に絵が描けなくたって、文章が書けなくたって、それが誰にも認められなくたって、死ぬ訳じゃあないけど、それを自分の心のよすがにしてきた人間には、自分にはその分野で活躍していくような技能も才覚(つまりは才能)がない、と気がつくことはとてつもないショックを伴う。
自尊心を保つために「これは趣味」なんだから、という風に納得してみせたような顔をするのも、何か自分とか、その他のものに負けたようで悔しいよね。芸術家志望者やその卵に自殺が多いのもそのせいなのかな。
いわゆる出版文筆、アニメーション制作、とかその辺りのクリエイティブな仕事をしている人を自分は心底羨ましいと思うけど、自分にとって、それはショーウィンドウの中の高価な服のようなもので、絶対に手に入らないんだよね。こんな心境をくすぶったままの自分は、時にもう死んだ方がいいかもなとか思ってしまう。死にたいっつーか消えたい。人生に思い入れがあんまりない。情熱も。多分、それが人生で自分のやりたかったこと、なのに、年齢とか、生活とか、いろいろな事であきらめざるを得ないから。なんというか、「これ以上悪くならないように」生きてるだけ。それでも、人生は続いていく。本当に、人生って、クソだよな。
何でか知らないがみんながみんな僕のことを避けて歩く。別に道の真ん中を歩いているわけじゃない。
真横のショーウィンドウに僕が映っている。歩くたび次のショーウィンドウへと僕が移動する。
ショーウィンドウに次から次へと僕の姿が映っていく。少し先のショーウィンドウには僕は映ってない。
そのウィンドウ越しに路上を見るが僕の半径1Mには人っ子一人いやしない。目すら合わせてこない。
何事だろうか。いぶかしんで、肘、頭、口元辺りを順々に点検する。なんともない。正常だ。
その点検する仕草を見たのだろう、ずっと向こう側から迫る背広の男や、反対の歩道から僕を見やる皺っくちゃの老婆は、うわっとかまぁっといった風な形に口を開き死に掛けのセミにぶつける視線でもって僕を不安にしてくれた。
いいかげん理由が知りたい。それほどひどい顔じゃないだろうに、なぜ僕をそんな目で見る。
ウィンドウが途切れて横道に差し掛かった。のだがおかしい。のは僕の顔だった。なんだこりゃ。
頬の感覚がない。あわてて触る。ないわけがない。不安だ。ない。頬がない。うえっ。なんだこりゃ。
手を見るとなんだこりゃ液体が。ふと舐める。うまい!コーヒー牛乳だ。僕の好物じゃないか。
そうか、彼らはこの香りに引かれてこっちを見てたのか。なるほどね。いまどき頬がコーヒー牛乳になるやつなんていないから。そう、今はそんな人間いないのだ。彼らは古い時代の能力を持った僕を見て時代錯誤だとか懐かしいとかいった感情を抱いて見つめてきていたのだな。よーくわかった。それにしてもコーヒー牛乳うまいなあ。
あいつは何をやっているんだ。自分の頬を撫でては舐めていやがる。気持ち悪い。
ふと背広を見ると茶色い液体がついていた。きたねえ。鳥の糞か。でも色が違う。
恐れつつ、指でふき取り、匂いをかぐ。大して匂わん。どことなく甘みを覚えるな。
ためしに。ぺろ。うまい!コーヒー牛乳じゃないか。なるほど、頬からコーヒー牛乳が。なるほどねえ。
こうして彼らは頬からできたコーヒー牛乳を舐め続けて溶けて死んだ。
常識的に考えてこれは嘘っぱちなのだが、はてよく意味が分からない。
なぜこんなものを書いたのか。うーんと唸りつつ私はコップにそれを注いで飲み干した。うまい!自分だった。えっ
パティスリーってあれな、お菓子屋。美味いもの、特に甘いもの好きな俺としてはそんな美味しいお店があるとつい行きたくなっちゃうわけですよ。一人じゃ恥ずかしいから彼女連れて行ってみた。
なんか入ったすぐのところの待合室みたいなのがやたらと無駄に広い。並んでる客いなかったけど。あと、薄暗くてやたらと高級っぽい。スタッフはその待合室の奥のほうで待っており、ウェイトレスさんが「いらっしゃいませ」と声をかけてくる。遠いよ。その「いらっしゃいませ」を無視するかのように、彼女はすごい勢いでショーウィンドウのケーキを眺め始める。「すごい!美味しそう!」とか言ってる。いや、テイクアウトするわけじゃないだろ。「じゃあ早く座って食べようね」と彼女を連れて席に案内してもらう。ちゃんと席を引いてくれるし、お手拭きも奥に座っている彼女のほうから渡してくれる(お手拭きはちょっとどうかと思ったけど)。すごくサービスがちゃんとしてる。
店内はそれほど広くない。客がいるテーブルとかのエリアと待合室のエリアの大きさが大体4:3くらい。もっと席増やした方が合理的だと思うんだが、多分高級だから違うのだろう。けど席と席の間隔を広くするくらいしてもいいかなぁ、と思う。隣には老紳士が一人。よほど甘いものが好きなんだろうな、と思ってたらしばらくして奥さんが帰って来た。
普段は「パスタwwwwwwwwwスイーツwwwww」とか20-30台女性を小馬鹿にしている俺は周りの客層を見てみたが、あまりそのカテゴリの人間はいない。親と来ている人とかはいたけど、20-30の女性だけのグループやカップルはいない。彼女にそう言ったら「高いからじゃない?」と言っていたけど、コーヒー一杯3000円とかじゃあないし、高いのは確かだけど、そんな生活を圧迫するほどの値段ではない。
彼女はフランボワーズのパフェが食べたいと言っていた。フランボワーズって何?ああ、きいちごね。ふーん。オススメがチョコレートケーキだと聞いて、けど彼女はそちらを頼むことにした。気変わり速いな。俺は冷たいものを頼む。
テーブルの上には角砂糖と別によくわからない砂糖が置いてある。「なんだろう?」といいながら彼女が手に少し取り分けて舐め始めた。ちょっと恥ずかしいけど、俺も何か興味があったので舐めてみる。あんまり甘くない。なんだろうね、これ。まぁ、砂糖じゃない?と話し合ってしばらく経ったところで紅茶が運ばれて来た。「これってなんですか?」と彼女がきいてみたところ、「○○(忘れた)で作った砂糖です」とのこと。なんかよくわからんが高級そうだ。
で、ようやくデザートがきた。とても感動的に美味しい。確かに値段だけの価値はある。特に彼女が頼んだチョコレートケーキはとても濃厚。甘すぎず苦すぎず。ああ、これが高級店のデザートというものなのか。せっかくなので追加でシュークリームを注文することにした。これがまた美味い。ずば抜けてうまい。これはまた今度食べに来たい。紅茶頼むと金が勿体ないからイートインせずにその分テイクアウトで多めに買って帰りたい。
「この中のクリームって何なんですか?」と彼女がウェイトレスに聞くと細かく素材を説明してくれた。なんかすごいね。バンビーノ読んだるみたいだ。親が飲食業をやっている彼女もやっぱり同じように思ったらしく、「みんなすごくプロなんだねぇ」との感想。同感。
彼女はゆっくりとこの店のオサレ感を楽しみたいととても思っていただろうけど、その後に予定があったので、お茶を飲んで早々と帰った。
高級なパティスリーってのは初めて行ったけど、これは中々いい。サービスがちゃんとしてるし、本当に美味しい。何より、同等な満足感を得ようと思って、昼食/夕食を高級店に行くととても高いから、比較的安い値段で非常に高い満足感が得られる。彼女も大変ご満足の様子。
女性は一般的に甘いものが大好きだと思う。同じお金を使って女性を満足させようと思うならば、夕飯に誘うなんてのは多分金の無駄で、同じ値段でパティスリーに連れて行けば何十倍も感動してもらえるに違いない、と思った。女性の意見求む。
http://anond.hatelabo.jp/20070523120314
どうぶつの森の博物館のフータちゃんがGやノミを含む虫を収集しているのはいいとして、
(ただし本人はどんな虫でも「ああ…キモチワルイ…」と気持ち悪がってる)
たぬきちちゃんのお店にGやノミを持っていくと値段付けて買い取ってくれるのはなんでだろう?
……まさか、食べてるのか?!
「買い取った貝殻を食べてる疑惑」もあるし……
すこし前に大阪で起きた事件。ある男が「ストレスがたまり、むしゃくしゃした」と突然3歳の子供を歩道橋の上から放り投げた事件を見て思ったこと。
数年前の自分なら「ありえねー。怖ひー(笑」と全く自分とは関係が無い事件と思ってまあ適当に感じていたのだろうが、今現在の自分としては少し身近に感じ恐怖にかられている。と言っても、自分に子供が出来てピチガイ怖いと言っているのではない。自分が事件を起こした男と同じようなことをするのではないかという恐怖に。
若い時の自分は通常の時の自分とイライラしている自分もどちらも同じ1人の人間として同じ自分と感じていたが、ある事をきっかけにしてから、色々な感情の時の各々の自分が違う人間なんじゃないかと思えるようになってしまった。特にイライラしている時が。不機嫌な状態で不愉快なものを見た時、自分を制御出来ない感覚が。以前、一回ブチ切れして壁を殴って穴をあけた事があるのだが、それ以来一旦開けてしまった扉は以降は開けやすくなってしまったようである。
そんなんだから自分がこの事件のような事をしないと言える自信は、以前は「ねーよwwwww」みたいな感じだったのが、今は「無いと思う」ぐらいか。そしてその差から未来を想像すると・・・。特に今の自分の不満な状態のまま年を重ねると確実に悪化の一途を辿る道しか見えない。
別に今の自分はなりたくてなったわけじゃないし、むしろなりたくないのになってしまったといった感じである。そして当然そうじゃなくなりたいと思っている。というか、ならないと思っていたらいつの間にかそんなふうになってしまっていた。な… 何を言ってるのか わからねーと思うが、おれも何をされたのかわからなかった…。頭がどうにかなりそうだった…。催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…。
って違う。いつの間にかそうなっていた自分だが、「手に持っている鞄を1回転してから明後日の方向へ投げ飛ばしたい」とか「前の人の背中を蹴り飛ばしたい」とか「あああああ!!と言ってデパートのショーウィンドウのガラスを殴りたい」といった衝動を抑えている。それは何故かというと色々あるのだが、しかしそれらは年々削られているみたいな感じ。少しづつ枷が外されて最後に枷がなくなり精神が自由にばった時に、この事件みたいなことを起こすのだろうか。今はそんなのは嫌だと思えるが、そう思えなくなり「もうどうにでもなれ」と思ってしまったらと考えると怖くなる。
枷が欲しい。自分の精神に枷をはめたい。この開放されていく精神を重く縛り付けたい。けど、まわりの普通の人は増えているみたいですよ?。自分にも欲しい。
なんか、アホみたいな文章になってしまった。とりあえず、病院には行っている。宗教は最後の手段。
今の自分の未来を想像することで、何故40代未婚の男性が不審人物になるのかが良くわかった。だけど、不審人物だからと言って速攻排除するのも難しい。良く「死を覚悟している人は強い」と言われるが、この強さが負の方向で発揮されちゃうと社会ってとんでもないことになっちゃうので、上手くコントロールしないといけない訳で。まあ、将来自分がコントロールする側なのかされる側なのかわからんが。