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2009-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20090727223411

ナイルの水の一滴。志賀直哉という小説家の短文なんだね。知らなかった。私には知らないことがたくさんあります。

小さな世界というのは自分から見た世界であって、

そこに映るものは自分主観により決定されるということだったよね?

うーん。ちょっと違うかな。

確かに小さな世界自分から見た主観的な世界ではある。

ただ、そこに映るものを自分主観によって決定するわけじゃなくて、そこに映るものの“意義”を自分主観によって決定するものだと私は思っているのです。

度々文面に登場する「小さな世界」。私は箱庭のようなものだと考えているのね。私という自我が立っていて、壁に外界と面した窓がある。

その総称を「小さな世界」と読んでいるのございますよ。

自我たる私は、窓の外を見て他なる存在を認識する。そこで決められているのは、その存在の意味だとか、私にとって何であるのかということだったりするのね。

だから、存在自体をどうこうできるわけではない。私は他者としての世界を見た瞬間に、最早存在を認識せざるを得なくなってしまっているわけなんだ。

例えば、あなたは大きな世界を「意識的に見ない/見えていないことにする」ことは可能だと述べたけれども、これにしたってすでに存在を認識しているから可能なことでしょう?

私が私を意図的に誤魔化すことができるのは、対象となる存在を認識しているが故だもの。対象がなければ、私は何をすることもできない。

で、存在を認識したからには、私は対象を分類しなくてはならない。にんげんだもの。認めるのもいい、誤魔化すのでもいい。とにかくカテゴライズするわけだ。

するとどうだろう、私は私という小さな世界の中において、認識した外部の存在の立ち位置を決めることになる。

世界関係し、繋がらざるを得なくなると思うんだよね。

総体」について。

小さな世界は外部の世界を内包することについては記した。

その上で私は、人と土地などの違いに主体性の強さがあると思うのね。

人も土地なども等しく外界の存在を内包するけれど、人は分類して敷居を作ってしまう。土地とかはそういったことがないように思うんだ。

だから、自我としての小さな世界と、外界から取り込んだ他者としての小さな世界が混合し始める。

その総称として「総体」という言葉を用いたんだ。謂わば、小さな世界でありながら、大きな世界を内に秘めているような感じ。

まあ、結局私は人でしかないのだから正確なところは分からないのだけれども。

私は、時を経て変質することはあるにせよ、

存在すること自体に一番意味があると思うなあ。

そうだね。存在ありきでなければ何事も始まらないものね。だから、純粋に『存在すること』にこそ根源としての意味合いが一番含まれているのだと思う。

ただね、私はときどき大きな世界に飛んで行ってしまいたいことがあるんだ。

言葉はいつも世界を切り取って明確にしてしまう。私は世界そのものを感じたいのに。

漫画鋼の錬金術師)からの引用になってしまうけれど、「一は全、全は一」という言葉がある。

理想系なんだ。目指す世界観としてさ。

私はありのままの存在をありのままで感じてみたい。小さな世界でありながら大きな世界となって、境界なく全てを俯瞰してみたい。べつに理解はしなくてもいいんだ。

溶けてみたいのかもしれないなどとも思ったりする。

渇望しているわけでもないのだけれどもさ。

……頭捻って文を書いたつもりなんだけれど、どうにも的確に答えられていないような気がする。ごめんね。

キーボードを叩いていたら、何がなんだか分からなくなってきたんだ!

蒸し暑いのは大嫌いです。

2008-10-28

http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-345.html

大学入学前から25歳くらいまで、毎週伊集院深夜の馬鹿力を聴いていた

外国に一ヶ月ほど行ったときもカーチャンにラジオの録音方法を教えてまで聴いていた

ダメにんげんだものとかクイズQQQのQのQとかでおしりコインももらった

だけど、初めて彼女が出来て聴かなくなった

聴かなくなったというより、聴かなくても大丈夫になったといった方が正しい

よくわかんないけど、ラジオを聴くことで何かを補完されてたんだと思う

2008-05-29

性格が悪い人なんていないんじゃないか、と最近思うようになった。

自分が一番な人とか、粘着質な人とか、愚痴っぽい人とか、

人それぞれ違う傾向を持っていることは確か。

でもそういう一面だけを見て「あいつ性格悪い」っていうのはちょっと違うかな。

協調性がなくて無神経だけど優しい人、

利己的な行動が目立つけどじっくり相談にのってくれる人、

だらしないけど一緒にいるとリラックスできる人。

いろんな人がいる。

「あいつ性格悪い」っていう言葉が出る時は

本当は対象の評価っていうよりは自分の感情の方が大きくて、

要するに「俺あいつ好きじゃない」って言いたいんだよね。

Blog炎上とかもこのパターンが多いのかも)

(きらいきらい!むかつくむかつく!みたいな)

にんげんだもの、いいとこもわるいとこもあってあたりまえ。

けっきょく相性なのかなーとも思います。

2008-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20080316002719

「いやらしい目で見る」のはコントロールできない感情じゃないのか?


甘えてないで、なんとかコントロールして自制しろよ。

少なくとも相手に嫌な思いをさせないくらいの無表情を身に着けろ。

にんげんだもの

2008-03-10

にんげんだもの

日本一ベストセラー作家様が提唱している人間主義なんだけど。

およそ主義と言えるものは自然科学から宗教も含めて何でも人間主義だよなー。

例えば帝国主義とか実に人間らしい行動だし。

逆に人間主義じゃないものと言ったら自然派とか宇宙派とかだろうか??

2007-10-24

影響

http://anond.hatelabo.jp/20071024050957

「影響というのはどういうことかに就て考える方が、独創的であろうとすることよりも遙かに大切である」

吉田健一って人が言ってた↑らしい。

誰でも何かから影響を受けてる。

その点では、人による差など無い。

だから、知能の差など無い。と言う事も可能。ではあるが・・

「影響というのはどういうことかに就て考える」力量の差が、知能の差だ、ということも可能なんだな、にんげんだもの

にんげんだもの

http://anond.hatelabo.jp/20071024050957

いや、結構、差はある。

だってさ、相田みつを作品集を通販で買う人とアナタが、同じ知能だと思いますか?

知能は同程度で、知識や経験だけが違うと思いますか?

んなこたぁないでしょ。

2007-07-25

プログラムなんて簡単だよ。」

優秀なプログラマであるほど、プログラムの難しさをよく分かっている。

一方、あまり腕前の良くないプログラマや、プログラムを少しばかりかじったことのあるITコンサル程「プログラムなんて簡単だよ。」って思っている。

こういう構造ってなにもプログラマに限ったことではないのだろうけれど、ハードウェアエンジニアよりはそういう風に思われやすいんじゃないかな。プログラマソフトウェアエンジニア)は安く見られやすい。例えばテレビ自動車エアコンを作るのは、具体的に何が難しいとは知らなくても、何となく難しそうだと皆思うだろう。

でもソフトウェアを少しかじったりした後の反応は皆違うんだ。Visual Basicで簡単な数当てゲームを作った後に人が思うことは違うんだ。結局Windowsだって何だって、その数当てゲームの延長線上にあって、そこには比較的簡単に辿り着けそうだと想像させてしまうんだ。しばらくプログラムを続ければその道のりの遠さにはすぐ気付くんだけど、そこまで行かないままにプログラムをしなくなる奴はたくさんいる。でもそういう奴らは業界には残っている。厄介だ。

プログラムの参入障壁が低いことは、一プログラマとしては喜ぶべきことなんだろう。確かにその参入障壁の低さのお陰で、世の中に革新的なサービスが次々と生み出されている。素晴らしいことだ。

だけど誰だって、難しい問題を解いたら褒めてもらいたいよ。ただただ仮説を立てただけの奴とか、結果プレゼンしただけの奴とか、そういう奴が褒められていたら嫌な気持ちになるよ。

プログラマだってにんげんだもの

2007-04-11

自分は馬鹿じゃないけどこいつは馬鹿だと言いたげだが

http://anond.hatelabo.jp/20070411175056

馬鹿だっていいじゃないか

にんげんだもの

突き詰めると

五体満足の人としか付き合えないってことになるのかな。

ある意味すげー理想たけぇ。

どう考えるかは自由だけれど、我々は不健康な生活を送ってナンボですよ。

にんげんだもの(みつお)。

2007-01-28

緩やか、って言ってもねえ

どのスパンで考えるかの話で、地球誕生、とか哺乳類出現、とか新人類出現からのスパンで見ればもともと人口の増え方が急激すぎる。このスパンで緩やかに減らすとか無理でしょう。

リンク先の「緩やか」か否か、ってのは、多分コントロールした結果減るのか、資源の枯渇やら戦争やら自然災害やらで絶滅的に減るのか、っていう違いを指してるような気がする。

個人的には、コントロールして減らすことすら無理だと思う。だってどっかのエロい人が社会システムやらなんやらを勘案して「緩やか」な人口減のためには来年出生率はいくつですよ、って決めたとしたってそれに従うことなんかできないでしょう。にんげんだもの

みつを

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