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2023-07-23

anond:20230721225327

この増田を読んでから

飛島塩辛を買うかどうかで悩んでいる…

ずっと昔本当に昔、吉田健一氏の食べ物の本に、山形飛島アワビ塩辛が美味しいと書いてあった。酒田に行った時も探したし、山形の知人にも聞いたし、でも手に入らなかった。そうだネットがあると今頃思いつく。

今またなぜ塩辛で悩むのかというと、

一に、高いのである……

イカ塩辛便1本2160円

さざえ塩辛あわび塩辛ともに、瓶1本6,500円である……

二に、高齢化による生産者の減少で年々手に入りづらくなっており、一昨年には県内スーパーでも入荷できなくなったそうだ

うーん…うーん……

多少無理をしなければ後悔するだろうか。

うーーーーーむ………

春~夏に採れたイカ塩漬けにし、熟成させておいた魚醤イカの内蔵を発酵させたもの)と合わせて作る独特の製法で作られており… サラサラ死ぬほどしょっぱく噛み応えもあるとの評判………

2022-06-17

吉田健一って別にジブリの最古参かいうわけでもないのにジブリキャラみたいな顔してるのが面白い

クロトワとかカリオストロ伯爵とかああいキャラそっくりなんだよ

顔が四角くて髭生えてて目がでかいからなんだろうけど

めちゃくちゃジブリ作品にいそうな顔してんだわ

2021-12-06

美少女」と「萌え絵」はちょっと別ではという走り書き

オタク文化の源流を辿る議論が始まってしまってるけど、シベールとかの話は「美少女」の発明の話で「萌え絵」の話とは違うよなと思った

そもそも萌え絵ってなんだよ、誰が定義したんだよという話なのだが(「美少女」のほうは議論がたくさんあるからさら新規の説は立てようがない)

まず現代萌え絵ってなんだろうというと、人目につくとこに掲示される絵で判断するのが一番で、「コンビニで売ってる雑誌の表紙」と「パチンコ屋の店頭看板のぼり旗」がもっと判断に適している気がする。これらはオタクオタクじゃない人も誰もが目にするからだ。

ということで、パチ屋店頭を眺めつつ私見で分類してみる

 

パチンコ海物語……昔に比べるとだいぶ寄せてる気はするが、まだ萌え絵には至ってない

北斗の拳……劇画判断する人のほうが多いだろう

せがわまさき……これは人によって判断が分かれる気がする。劇画認定する人がおそらく多数派だろうが、石川賢記憶がある人からすれば萌え絵認定されそう

まどかマギカ……萌え絵認定異論を唱える人はあまりいないと思われる。が、よくネット炎上槍玉に挙げられるタイプの「萌え絵」とはまるきり別系統でもある

エウレカ……たぶん萌え絵認定なんだろう。なんだろうけど吉田健一系統って萌え絵なのか?

エヴァ……たぶん全員一致で萌え絵認定されるのはこれだけではってぐらい共通認識。ただ貞本義行の顔ってかなり古典的な部類であり、「量産される深夜アニメ」「量産されるエロ同人誌」とはまるきり別系統

シンフォギア……これはさすがに萌え絵でいいだろう

ツインエンジェル……シンフォギアとは別系統萌え絵分類の代表例か。いわゆる「アニメ絵美少女絵=萌え絵」という認識にピッタリとはまりそう

攻殻機動隊……押井守アニメの印象が強すぎてハードイメージがあるが、少佐劇画じゃなく萌え絵分類だと思う

……こんな感じだろうか。並べただけである

で。並べてて思ったのだが、初代マクロスの美樹本絵は「萌え絵」になるのだろうか

美樹本晴彦というと「美少女」の代名詞だが萌え絵と言われると違和感が強い。似たような例だと、あだち充も「美少女」の代名詞だが萌え絵とは言いづらい。

おそらく、美樹本・あだち系美少女が入ってこないのが、自分認定する萌え絵を、往年の美少女絵につながるものと考えにくい大きな理由だ。

じゃあ他には?

からなかった。

 

ということで別アプローチを考えてみる

日本国内で「萌え絵」が一般認知されたのは圧倒的にパチンコパワー(およびソシャゲのTVCM)だと思うが、マンガでいうと、ガンガン分水嶺という気がする

ガンガン以前は、すこしづ勢力を増していても、表にでてくる量としては意図的に抑えられていた感じがある。ジャンプでいうと本誌の「そういう枠」はウイングマンバスタード黒岩よしひろあたりという認識。なおオレンジロードは「美少女」ではあっても現代萌え絵系統とは別枠だと思う

週刊誌月刊誌でなんとなく棲み分けされてもいて、月刊誌枠は「そういう絵柄」が多少は許容されてるイメージ。増刊サンデーが当時のオタク少年御用達といった

で、「オタク少年向け」枠に少年キャプテンコミックコンプが参入して少しづつ売り場面積が増えていったが、「そっち系の絵柄」でメジャー制覇したのはガンガンだろう

ではガンガンは「美少女」で成功したのか? というと、それは違う感じがある

それまでロリコンブーム以降の同人誌の盛り上がりやマイナー誌での蓄積を整理、洗練された上で、「黒岩よしひろとかああいう感じの絵ばっかりの雑誌」が美少女じゃない路線成功したということだと思う

そうすると、「ガンガン」の時点で、いったん「美少女」は途切れてしまっている。実際、年齢層的にも、それまでのキャプテンや増刊サンデー世代より下の世代向けで成功したのだろうし

 

萌え絵」といって、世間的に「なんかオタクっぽい絵」というときガンガン代表される絵でしょ、というイメージが、自分の中にはある

そうなるとそれは「美少女」とはちょっと違う。世代がある程度まで一新した上で、改めて、既にある美少女概念が借り物として再導入されたと見るべきじゃないのか

その際には当然、以前からの「美少女」も参照にされているが、そこは一直線で見るべきではない気がする。たとえば、あだち充的な美少女はそこにはいなかったように

 

しかし、ガンガンと言い切ってしまうのも違う気がする

同人作家が既に年商千万とか億とかいわしてたのを背景に、そこから作家を連れてきて成立してたわけだし

だいぶ迷走してきた

うーん

 

///

 

2021/12/8追記

反応ありがとう。ちょこちょこ読んでるけど消化しきれてないので返事はごめん

読めばわかると思うけど、「萌え絵はいひとつ曖昧な使い方にしかならない気がするんだけど、しか自分でも漠然とはイメージがあるし、とりあえず自分内の定義を探してみっか」という話です

ひとつだけ反応すると

ガンガンの具体的にどれ?

特定のどれかって感じじゃないですね

いかにもそれです、って探すというと夜麻みゆきとかがいかにもそれっぽいんだけど、そこに限った話でなく

それまでの少年マンガ誌ぽくなさの一方でやっぱ少年マンガ誌ぽさはある、という感覚

たぶんでいうと、既存の「劇画の気配」とか「少女マンガの気配」とかがないってことかなと

いかにも鳥山明フォロワーでござい、って感じなのに全く鳥山明じゃねえよっていう絶妙な表紙って大事だったのかも

2021-06-22

anond:20210622150852

小説描写は正確なイメージ情報が読者に伝わるためにされなければならない、なんて俺は学校で習った覚えはないが。

吉田健一コリン・ウィルソン視覚イメージ移転にこだわってみっちり描写する作家を「小説ってそういうもんじゃねえだろ笑」と批判してたなあ。

手元にある純文学小説開いてみ。登場人物の外見的イメージを伝える情報ビックリするほど少ないと思うから

それでも上手い作家ならそうと気づかせず、読者の頭の中に各々勝手登場人物像をイメージさせることが出来る。

2013-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20130321000145

交響詩篇エウレカセブン 2期OP少年ハート」より。

http://www.dailymotion.com/video/x2rqdu_eureka-seven-opening-2_fun

ラップ部分で人物紹介、クルーの大半は並べるだけ、ありがちな作中への伏線カットもガン無視、引きすぎ、人物とかストーリーとか最高にどうでもいいのが丸分かりな村木マジクー

「咲かそう咲かそう」で松田サーカスを空中に咲かせるという常人には出来ない発想

サビ頭でまさかマクロス壁撃ちパロを敬史に振るという村木以外には思いつくことすら不可能な神采配。

ちなみにブルージェンダーOPの時には鴨川に壁撃ちパロを描かせているので、よほどあのOP板野背動に思い入れがあるらしい

こだわりに満ちた柿田爆発。柿田と綿密な打ち合わせがあったらしい。溶解した部分と駆動部に分かれた爆発を必要以上にたっぷりと見せる

とどめの金子サーカス。これを金子に描かせるのが目的だった言わんばかりの神作画

安直粉塵から全員集合でキメ。作画豚もアクメ

コンテ・演出:村木靖

作画監督吉田健一 中田栄治

原画

橋本敬史   柿田英樹

金子秀一   大塚 健

松田宗一郎  中谷誠一

新井浩一   坂崎 忠

長谷部敦志  川元利浩

安藤真裕   齋藤恒徳

竹内志保   村木 靖

背景:小倉一男(KUSANAGI

2008-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20080413172612

吉田健一曰く、

 本を読むことが勉強にはなつてゐても、それで大に得るところがあつたなどと真面目に考へられるのは、まだ何も与えられてゐない若いうちのことで、そこの所をひつくり返して言へば、まだそんなことが考へられるのは本を読む楽みの序の口にも過ぎないといふことになる。我々は音楽魅せられて大に得るところがあつたなどとは思はない。

(略)

 読んでゐれば時間がたつて行つて、倦きれば止め、後は何をしようと兎に角、それまで時間を潰すことが出来たことは確かなのである。

 さうすると、そんなのは贅沢ではないかといふことになる。勿論さうであって、贅沢が嫌ひで文学を愛するなどといふのは見当違ひも甚だしい。この世界には遊びしかないので、それを真剣な遊びだの、命懸けの遊びだのと称するのは、遊びといふことに対する後ろめたさから無駄口を叩いてゐるに過ぎない。

2007-10-24

影響

http://anond.hatelabo.jp/20071024050957

「影響というのはどういうことかに就て考える方が、独創的であろうとすることよりも遙かに大切である」

吉田健一って人が言ってた↑らしい。

誰でも何かから影響を受けてる。

その点では、人による差など無い。

だから、知能の差など無い。と言う事も可能。ではあるが・・

「影響というのはどういうことかに就て考える」力量の差が、知能の差だ、ということも可能なんだな、にんげんだもの

 
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