でも思うにそれは短歌の得意分野であり俳句でやることじゃ無くない?ということ
というか季語を無くしてまで伝えたいことがあるのかという話。俳句にはなぜ季語が入るのかは永遠に答えが出ない問であり、それを疎かにしてまで既存を破壊するのわざわざ?
というか俳句ってそもそも季語が多すぎるクセして、使わない季語がそもそも多すぎるんだよ
シネラリアにしてもままっこにしても季語としては存在するが使われた句がほとんど存在しないってなんじゃなそら。
とにかく前衛俳句とは分からない、川柳とどう違うのかもさっぱり分からない