ツイッターが誕生してからこの句みたいな文はそれこそ億単位で作られるようになったわけじゃん。
あんな俳句はなにもすごくない誰でもつくれるものだったと解釈するべきなのか。
それとも「ツイッター」があるからこそ量産されるようになったのだから、ツイッターを作った人が自由律俳句並みの発明をしたと考えるべきなのか。
とはいえ「作った人」を誰と定義するかが問題だ。
コロナワクチンの発明者はその基礎技術のカリコが作ったということでほぼ決まりだろうけど、ツイッターを構成する基礎技術は前者と違って一人の人間の功績に依存する者じゃなくて絡まりあってるのだから。
Permalink | 記事への反応(2) | 18:16
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咳をしても勃起
ツイッターで名言風のなにかが量産されたことで名言というものの価値が落ちているなぁと感じた 昔の哲学者の名言とか、真顔で見ると「なんかツイッターに転がってそうなやつだな」...
貧しくなったのはおまえの感性だろ
名言なんて所詮そんなもんやろ たまたま語り継がれてきただけや