私が物語を読み続けるのは、端的に言うとそういうことだったのだと最近気づいた。
リアルの他人ではなかなか見ることのできない感情の高まりみたいなものを見たいから、物語を読み続けてきたのだった。
ストーリーとかどうでもいいのだ。感涙でも激昂でも何でもいいから、強い感情の発露を見ていたいだけなのだった。
ちなみに、強い感情の発露が見たいのは、それを見れば他人を理解できると思ったからだ。
用例採集に近い感じだ。一番レアなものを集めとけば、何にでも対応できるような感じがする。
しかも、感情を表す様子自体が面白い。他人があまり好きではない私でも、人間って面白い、って思える数少ない瞬間だ。
こういうふうに、他人は泣き、他人は怒り、他人は喜ぶのだといった感覚にハッとする。
Permalink | 記事への反応(1) | 19:30
ツイートシェア
物語にある感情発露は、人がこんなふうに感情を出したら良いのにという創作者の願望 心療内科で働くか人事部でヒアリングでもすれば本物の感情発露に直面させられ続ける 占い師にな...