魔術的思考によって正解にたどり着くよりは、
仮説と推論によって誤りにたどり着くほうが、
誤りとしては少ない。
誤りを指摘できるからだ。
魔術的思考は、その正当性を事実に基づく根拠に明け渡しておらず、その論理を非難されると、人格攻撃を受けたように感じてしまう。
私が誰かの信念について、妥当な仮説または推論なしに、Aを信じていることを指摘したとしても、
私がAの否定を信じているわけではない。
私はその推論技法に問題があると言っているのであって、Aの否定の立場からAの立場を論難しているわけではない。
「宇宙人はいる」という推論に疑問点があることが指摘されたとき、
「なら、あなたは宇宙人はいないとおっしゃるんですね?」と返すのは飛躍した論理であり、誤りである。
「宇宙人はいる」という帰結の妥当な仮説と推論がないなら、それを(妥当さを保ったまま)信じることはできないし、
その否定「宇宙人はいない」という帰結の妥当な仮説と推論がないなら、それも(妥当に)信じることはできない(し、Aの推論に問題があることを指摘することが即、Aの否定の信念を持つことにはならない)。