永井均の本を読んでいる
私と他人の違いについての話が興味深い
その人が感じているもの(痛みとか喜びとか)を他人が知る方法は状況証拠しかない
私の頭を叩いたときの痛みは私しか感じることができず、また同様に他人の頭が叩かれたときに私の頭は痛くない
こんな話を読んだときに思い出すのは、小さいこどもが「体がだるいから学校に行きたくない」と言ったときに親はそれが仮病か判断することが本質的には出来ないよなあという思い
一見健康そうに見える人がそれを言ったとき、ただサボりたくて言っているのか当人にとって本当につらくて言っているのか
他人が感じているそのだるさをが私が感じるだるさとして感じる方法はない
私の感情と他人の感情を相対化、比べることは出来ないということ
例えば「わたしはあなたのことが好きだよ」「いや、わたしのほうがもっとあなたのことが大好きだよ」のように比べることは出来ない