ゆるキャンの映画が社会人編になって寂しい気がした
日常系アニメなのに時を進んでしまうのか…と
日常系アニメは、何度見返しても時間が少ししか進まない
それは現実からしたらありえないこと
つまり空想=非日常である
現実ではない事に魅力を感じる
日常系の時が進んでしまったら、それは現実の時の流れと同じ
つまり現実=日常である
日常なんて何時でも見れるから見なくたって良い
大人は、大人になろうと思えば大人になれるし、決まった時間には大人にならないといけない
大人の時間はあっという間で、雨の雫が重力に惹かれて下に落ちる如く時間はすぎて行く
傘を刺せば動けるような人もいれば、傘が壊れてまるで滝に打たれたように動けない人もいる
後者は「誰かこの雨を止めてくれ…」と思う事だろうが、止める権限は誰も持っていない
そんな時、痛み止めになるのが日常系だっただけなんだ
この辛い日常も、その空間にいれば忘れることが出来る
そして今日も眠れるんだ
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