すくなくとも、声をかけてくれた人は、善意と好意で声をかけているみたいだよ。
「コーヒーを淹れる事」はきっかけ(声掛けの方便)にすぎず、
声をかけられた対象を「どうしたのかな?自分でなにかしてあげられるかな」って思ってる。
そのあたたかさを、「いや、いい。」は少し冷たい印象。
声をかけてくれた人に対しての「ありがとう」は、あると嬉しいものだとは考えますけど、
それが声掛けして貰った人が「心から」気にしてくれてありがとう、ならいいなって思います。
でも、増田さんのような考えの方もいらっしゃるんだなぁと思うと、
怖いです。純粋な心配や、善意なのに。声掛けもしないほうがいいのかな。
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ツイッタでちょっとバズってた話。 他人にいちいちありがとういってもらえないとしんどくなるような人のほうが自分で自分を生きづらくしてるんじゃないの。 自分と同じレベルの気遣...
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