人工中絶、犬食の議論で、“意識“を持つものを殺すのは残酷だという議論が出る。
では意識とは何かと考えると、“この世界にいる自分自身を認識する“という定義がある。
これは、鏡に映る自分自身を認識した行動を取れるか、というテストで調べることができる。
もちろん胎児はできない。犬もできない。豚はできる。
だから豚を殺して良いならば、胎児も犬も殺して良いはずである。
(命を奪うのは自分が生きるためか、と考えるのが真っ当だと思う。地球温暖化と生物多様性の関係も同様の観点に立ちたい)
Permalink | 記事への反応(1) | 23:22
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