この前、車で4時間くらいかけて和歌山まで行った。運転中は当然寝るわけにはいかないので、それなりに疲れる。
肉体的な疲労感でいうと、12時間くらい飛行機に乗ったのと変わらない。(そのうち半分以上は寝てる)
つまり感覚的に言えば、和歌山に行くのもヨーロッパやアメリカに行くのも同じようなもんなわけで。
そこで「光年」という単位を思い出した。
光年はもちろん距離を表すわけだけど、文字通り時間的感覚も内包している。
高速移動の手段を手に入れた人類にとっては、メートルやキロメートルといった、ある地点同士がどの程度離れているかも意味はあるが、
移動の負担も含めて考えるのが合理的ではないだろうか。
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