2020-05-18

anond:20200518110217

ブルーピリオド』読むと、作る側は自分作品に込めた意図ちゃん言語化できる人ばっかりみたいだ。

から、作る側が今度評する側に回ったときも、アート言葉説明する行為自然とできる人が多いのかもしれない。

観て楽しむだけなら別に、「よかった!」「すごかった!」だけでいいんじゃないかとも思う(何がよかったか自分に対してちゃん言葉で残しておくと、似たようなものを探しやすい、似て非なるものを避けやすい、というのはありそうだ)。

記事への反応 -
  • 美術手帳とかの記事をたまに読んでると、作品の解説にここまで遠回しで難しい言葉使うんだってくらいよくわからんこと書いてあって、芸術がわかる(解説できる?)人は語彙力があ...

    • 『ブルーピリオド』読むと、作る側は自分が作品に込めた意図をちゃんと言語化できる人ばっかりみたいだ。 だから、作る側が今度評する側に回ったときも、アートを言葉で説明する行...

    • 完成度は芸術性とは関係しない。だからルンバに劣ることは恥ではない。とは思うのだが、その一方で回転する針金みたいなカス人工物を展示に踏み切った勇気はとてもすごいと思うの...

    • 増田が難しいと思うような語りができるぐらいよく考えないと、増田がすげー!と思うようなものはできない。   しかし一方で、芸術の価値は、増田がすげー!と思うことにこそあって...

    • 芸術の楽しみ方ってそんなもんでは? すっげ!くらいの気軽さで。

    • それは理論的な勉強してないからだよ 勉強すれば語れるようになると同時に語れない部分についてもわかるようになる そして自分でも作りたくなってくる でも正直あまりおすすめしな...

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