上野千鶴子氏の例の祝辞でもそんなことを言っていた気がするが、これはフェミの敗北だと思う。
社会において弱者はなぜ弱者のまま、強者との格差が固定化されてしまうのか。
それは「弱者」としての不満や苦しみを社会に発信する影響力を持っていないからである。
社会に自分たちの声を聞かせるためには、自分自身が強者になるしかない。
そして、本当に自分達の声で社会を変えることが出来れば、その時点で立派な「強者」となっている。
上野千鶴子氏をはじめとしてツイフェミやはてフェミ達も、十分に強者ですよ。
その自覚が無いこと自体が、フェミが批判される一因。
Permalink | 記事への反応(2) | 10:14
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強者になっても強者としての責任なんか取らんしな
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