金持ちの家に産まれた人を「羨ましい」と思うのは当然。
美人やイケメンに産まれた人を「羨ましい」と思うのも当然。
持って産まれた人を見て「羨ましい」と誰もが思うけれど
「比較していないと生きられない」というのは可哀相だと思う。
無いものねだりであり、比較しないと自分の良さなどが見えないのだろう。
そして誰かが良い思いをしたら「ずるい」と言うしかなくなる。
集団で「ずるい」と言う事で、自分は良いやつなんだと思えることもあるだろう。
七光りのバッシングが多いのもそういうことだ。
持って産まれた人は、他者からその分悪く見られることが多いんじゃないだろうか。
「色々持っているくせに」と自分を見られないこともあるだろう。
持っている物や性別、人種による過去の騒動など、そういったものを全て排除して人類と接したい。
Permalink | 記事への反応(1) | 11:28
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七光へのバッシング多いのは、無能が親の後光だけでいい暮らししてるっていう明確な不平等さが原因だと思うわ。
それは超金持ちのボンボンとかわらねぇじゃん?
有能なら妬まれないかというとぜんぜんそんなこともないけどね。 バックグラウンドからして有利なんだから人よりできて当然みたいな扱いになるし。
有能だから妬まれないとかはないけど、七光の無能よりかはマシよな。
そりゃそうでしょ。有能は無能よりも一般的に有用だから。