2019-08-12

フーコー言葉と物」二の五「言語(ランガージュ)の存在(エートル)」を読んだ。

シーニュの配置がシニフィアンシニフィエだけになった近代以降は、ランガージュが物質的な実在とは限らなくなったこともあって“第一義的なテクスト”への接続が断たれている。文学はそのランガージュの生のままのエートルに遡ろうと頑張るけど、もはや第一義的パロールが失われてるから昔のように上手くはいかないようだ。(末法思想みたいだな。)

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