2019-06-28

遺書を書いている

遺書といっても本当の遺書ではない。理由なく毎日ただ漠然死にたいので、いつ死んでも平気なよう、仕事の引き継ぎのメモを「遺書」と呼んで、今年度からつど書きながら仕事している。

仕事の中身をつぶさに記録していくたびに、社会人としての私の存在価値がたった1個、多くとも数メガバイトdocxファイルに移っていく。

月が終わり、「◯月」の欄が埋まるたびに、スカスカした達成感がある。

私は多分、自殺をしないと思うし、事故病気夭折することも、なんとなく叶わない気がしている。

でも、こいつがあれば、私はいつでも存在価値をただのデータに取って代わられるようなゾンビになれる。いつ死んでもいいし、生きていてもいいし、でも、死んでも困らない存在になる。

案外悪くないなと思うのだ。

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