遺書といっても本当の遺書ではない。理由なく毎日ただ漠然と死にたいので、いつ死んでも平気なよう、仕事の引き継ぎのメモを「遺書」と呼んで、今年度からつど書きながら仕事している。
仕事の中身をつぶさに記録していくたびに、社会人としての私の存在価値がたった1個、多くとも数メガバイトのdocxファイルに移っていく。
月が終わり、「◯月」の欄が埋まるたびに、スカスカした達成感がある。
私は多分、自殺をしないと思うし、事故や病気で夭折することも、なんとなく叶わない気がしている。
でも、こいつがあれば、私はいつでも存在価値をただのデータに取って代わられるようなゾンビになれる。いつ死んでもいいし、生きていてもいいし、でも、死んでも困らない存在になる。
案外悪くないなと思うのだ。