2019-01-24

何百万回、何千万回と読み継がれた本があり、何万回、何十万回と読まれたページがある。

レイチェルは考える。

何百万回読まれた本の中で、何十万回しかまれていないページとは、すなわち十回に一回は読み飛ばされているということである。もしくは、何十万回目かに突如として読まれなくなるような、そんなページである

そんなページにはおそらく、こんなことが書いてあるのだろう。


、おばあさんは深呼吸をした。



ここを読んでも読まなくても物語にさした影響がないような文。もしくは、



であった。


とか。

他には、

Supercalifragilisticexpialidocious


など、もうすっかり覚えてしまって読む価値もないと思えるような文とか。

いずれにせよこんなページは、ある日突然書き換えられていたって誰も気付きはしないのだ。


例えばー


、おばあさんが深呼吸をすると目の前のおじいさんにドロップキックを食らわせた。


とか。


であったかのように見えたが、実際におばあさんは竹からまれて来たのだ。


とか。


Supercauliflowerilisticexpialiboorish

とか。

修正されても読者は気づかない。

同じ本ならばいつ読んでもどれを読んでも同じことが書かれていると信じているからだ。

何百万回何千万回と読まれた本ですら、みなが同じ文字を読んだのだと期待する。

嘘は書いていない。誰にも読まれないのだから嘘にならない。

誰にも読まれないのだから理屈なんか全く通っていなくたっていい。

レイチェルの本にはどれもこのような仕掛けが施されているのだが、未だにそれに気づいたと思われるような報告はない。




レイチェルはおおむね普通のおばあさんだった。百回に一回は普通でないおばあさんになるとしても。

おじいさんの方も、百回に一回くらいドロップキックを食らってみることはやぶさかではなかった。

からまれて来たのはかぐや姫だけではない。

「一度竹からまれてみたかったの。亅

レイチェル物語は、そんな風にして自由気ままに改編される。

おじいさん、ほら起きて。起きないなら、

おばあさんが深呼吸をすると、

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