言語は先に話し言葉があって、それを解析して理論や論理といったもので説明していると、俺は思っている。
ただ学問として研究するのは理論であって、それはつまりセンスを理論に落とし込む作業だと思う。
逆にその理論をセンス感覚で使えるようにするのが勉強というものである。
古典は必要かと言われると、別に必要ないと俺は答えるし、自分が読んだ本はみんな読むべきとのたまう老害には消滅して欲しいと願っている。
Permalink | 記事への反応(1) | 08:33
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うーん、なるほど。確かに数学なんかでも、解法を思いつくかは経験値がものを言ったりしますよね。センス的な部分を理論に落とし込んだ結果として現代の(論理)国語の教育がある...