清掃の人間を人間として捉えるから見下すという発想になる
「清掃という道具」
「営業という道具」
「開発という道具」
「人事という道具」
「代表取締役という道具」
組織に属するものは総て視点を置く場所は法人にある
自分、一人称のままの坊主じゃ何も作れない
全ての人間は法人にとって単なる仕事を完了させるためのツールでしかなく
各々が道具として役割をこなすことで事業を達成させることができる
道具が道具を見上げるとか見下すとか仕事にとっては何の意味もない
Permalink | 記事への反応(1) | 03:26
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いや、ゴミは見下してるだろう。 下手くそな論理のすり替え。