彼らは主語にいつも「すべての」がくっついてると思っているようだが、実際にはそんなことはほとんどなく、単純に彼らが文脈や相手の意図を理解していないだけだったりする(多くの場合は「そういう〜もある」程度の意味)。なぜ「すべての」をいつも補って読解するのだろう。あらゆる名詞に「すべての」を補ってしまえば、例外のない規則はないのだからほぼすべての文章が妥当ではなくなるだろう。そういう馬鹿げた悪意に満ちた読解をしておいて、この文章はおかしいなどと言っている。おかしいのはきみの読解力や性格なのであって、その文章だったり、その文章を伝えようとした相手ではない。