「たかばおさむ」と読む。「乱を治む」に由来する当て字らしい。
1831年、福岡藩の藩医の家に生まれる。
男として育てられ、10歳で正式に元服するも、実のところ女性であった。
いちど結婚はしたが自ら離縁を申し出、学問を修めたあとに私塾・興志塾を開いた。
塾生の中には、後に自由民権運動の政治結社であり右翼団体の先駆けと言われる玄洋社を立ち上げる者たちが多くいた。
男の名で男装して帯刀までして乱暴者たちを従えていたのだから女傑だの何だの言われたが、彼女自身は華奢な容姿であったという。
教え子たちの過激な運動を見守りつつ、その後も教鞭を振るいつつ、後には医者として余生を過ごしつつ、1891年に亡くなった。
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