死にたい で検索してて、早々に飽きてきた。別に、死にたいの検索結果を見たいんじゃないんだよな。検索しといてなんだが。じゃあ死ねも、生きろも、あんまり読みたくない。
じゃあ死ねは社会的にあんまり許されないところがあるし、一言で終わってしまう。だから生きろ系やなんかやれ系(読め、感じろ、考えろなど)が多いかな。なんかやれも生きてなきゃできないんで、まあ直接生きろとは言わない変化球の生きろだろう。
生きろと言われるのが嫌なわけじゃないよ。面と向かって言われても、そういう文章を読むのでも、嬉しくてほっとするところはあるさ。ただ。生きろという一言を発するのに、骨を折ってくれてる人の言葉はやっぱりとても嬉しいな。別に理屈をこねろというんじゃないんだけど。
人生の肯定は思想の全てだ。相手によって尽くせる言葉も変わるだろうけど、その人がある程度一貫した豊かな思想を持っているほど、その人の言葉は生きたい人を元気にするし、死にたい人にも少しは響くはずだ。死にたい人へのメッセージじゃなくても、いっそ言葉じゃなくてもいい。私はその、小さな響きを聞き逃さないようになりたい。
いるんだよな、こういうカジュアルに死にたがろうとするやつ。 真剣に自殺検討してる人間からすると迷惑なんだわ。 生きてくれ。
あなたも死なないでくださいにゃ
カジュアルか……。 確かに、鬱から来る死にたいではない。 死にたい以外の適切な語彙を使いこなすべきなんだろうな。 迷惑かけてすまない。
猫を撫でるのですにゃ