2018-02-21

牡蠣をどこまで愛せばいいか引き際がわからん

牡蠣、ぎりぎり美味しい。一歩間違えば生臭いただのゴミ。ほんとうにここはぎりぎり。

だってあのぷっくりした部分の曖昧さ。存在してるかさえ疑う何ともとれない物体

中にはどろりとした緑と黒のほんとにこれはなんなんだという謎液。

ミラノ風ドリアと比べていただきたい。ミラノ風ドリアはどろりとした部分はホワイトソースだ。ぷっくりした部分は、あれだ、たぶんチーズが膨れたんだろう。中はサフラン色のごはん単純明快。疑うことなくおいしい。

それに比べて牡蠣よ。なんて曖昧なんだ。

ほんとうにふと油断するとその磯臭さとどろりとした曖昧さにうぇぇ!!ってなりそう。

なのに牡蠣を愛してしまう。美味しいかな、いや磯臭いに決まってる、だって見ろよこの形…はは、誰がこんな女!お断りだ!!と思いつつ口に入れると表現できない旨味、幸福、なんかわかんないけどオイシイ…オイシイなこれ…。ってなる。

このぎりぎりさに、なにか危うさをみているのかもしれない。

  • そっかそってわたしはわたしからしたらもう一度でもない。

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