セクハラを社会規範の問題とするなら、不快だからセクハラという定義を棄却して、ここまではセクハラここからはセクハラじゃないと線を引いて、その線から外れた不快な表現は甘受しなければならない。
セクハラを個人間の問題とするなら、不快だからセクハラという定義を採用する代わりに、ポリコレのような社会規範は一切棄却し最大限の表現の自由を保証しなければならない。
現在の状況は不快だからセクハラという定義を採用していながら、これはセクハラあれはセクハラという社会規範を敷こうとしている。これを推し進めると一切の表現を規制しなければならない。
なぜなら他者という存在は無限であるから、全ての表現はセクハラになり得るからだ。
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