義務は時代や地域によって定められるものではない。人の心に生まれつき備わっているもので、そういう義務を感じる心を持って生まれ育った人間だけが正しいのだ。
人が死んで悲しいと思う人間だけが、道徳的に正しい人間であるのと同じように、他人の死を喜ぶ義務を感じる心を持って生まれた育った人間だけが、道徳的に正しいのだ。
道徳は、時代や地域を超えた理念だ。お前が、そのような疑問を投げかけた瞬間、お前は私の死体を見て喜ぶ義務が生じているし、私もお前の死体を見て喜ぶ義務が生じている。対立する者同士は、お互いの死体を見て喜ぶことが道徳的に正しいのだ。実際にどう感じるかは別として、自分がどう感じるべきかを我々は社会に規定されているんだ。
実際には、俺はお前の死体を見ても喜ばないだろう。つまり、私は義務を果たせていないのだ。その代わり、義務を果たせていないことに罪悪感を感じるのが、真の人間のあるべき姿だ。
「他人の死を喜ぶ義務」という発想が、どうやら今の日本から失われてしまったようだ。実際に自分が嬉しいか嬉しくないかにかかわらず、世の中には、立場によって、特定の人の死を...
そんな義務があった時代や地域って?
義務は時代や地域によって定められるものではない。人の心に生まれつき備わっているもので、そういう義務を感じる心を持って生まれ育った人間だけが正しいのだ。 人が死んで悲しい...
武士道ってやつだな